利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(14) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

祈りと対話の力

このような大変化は、政治評論家たちには数カ月前には夢想だにできなかった。今、人々の平和への祈りと対話を求める真摯(しんし)な願いが実現し始めたのだ。祈りに応えて神仏が関係諸国の政治指導者をそのように導かれたと、宗教的に解釈することもできるだろう。多くの人々の願いや対話が、政治指導者たちの理性に訴えて状況を変えたのだと、非宗教的に見ることもできるだろう。

いずれにしても、祈りや対話に向けて行動した人々は、この好転を大いに喜んで良い。タカ派の世論が圧倒的だった時に孤立を恐れずに行動したことを、内心誇ってすら良いと思う。

先頃、「戦争が回避できるように祈っていたのだが、その方向に向かって本当に良かった」と個人的な会話で話したところ、あるカトリックの先生が「私も日々そう祈っていた」と即座に言われた。宗派を超えて、多くの人々が同じように行動していたのだろう。

私が言いたいことは単純だ。第8回に書いたように、一人ひとりの祈りや願いの力は小さなものであっても、多くの人が心を合わせて動けば、大きな力になりうる。戦争を回避するような巨大な変化すら、もたらしうるのだ。

『利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割』第8回

さまざまな宗教の本来の考え方からすれば、これは当然だ。世界や人類を創造したとか、人類史の進行を導いていると考えているところもあるくらいだからだ。でも、あまりにも危機が大きくなると、私たちはしばしば祈りや対話の力に確信を持てなくなる。今こそ、祈りや対話の力を再認識すべき時だろう。

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