法華経のこころ(13)
「観世音菩薩は、云何(いかに)してか此の娑婆世界に遊び、云何してか衆生の為に法を説く、方便の力其の事云何(いかん)」(観世音菩薩普門品)
20代で、ある自動車会社を辞めた。再就職の段になり、試験を受け、合格通知を受け取ったが、いざ決断の時になると、自分の適性にかなっているか否か不安になり、やがて自信を喪失。挫折感と前途への不安で神経症に陥った。夜、満足に眠ることもできず、朝方までテレビを見て過ごす毎日。〈怠け者〉〈だらしがない〉という非難の声がつらく悲しく胸に響いた。
そんな時、母は毎朝弁当を作ってくれ、普段と変わりなく佼成会の教会へ向かうのだった。
それまで、母の信仰活動に一番反対していたのは兄妹の中で私だった。中学時代、夕食が遅すぎるといっては激怒し、手を上げたことさえあった。そうした過去を思い出すにつけ、いったい母は何のために信仰してきたのかを考えずにはいられなかった。そして悔恨の念にかられたのである。
私にとって、母の信仰は、まさに私がピンチに立たされた時、弁当を作っては「風邪をひかないようにゆっくり休んでいなさいよ」――そんな言葉が発せられるように、長い間、修行してきてくれたのではなかったかと。
私は、深い感謝の思いで、母を“観音さま”と仰ぎ、法華三部経を読み始めたのだった。
(K)
※観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)は、云何(いかに)してか此(こ)の娑婆(しゃば)世界に遊び、云何(いかに)してか衆生(しゅじょう)の為(ため)に法を説く、方便の力其(そ)の事(じ)云何(いかん)
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