法華経のこころ(3)

諸の菩薩所行の処に住す(無量義経十功徳品)

「この教えは、常にどこに存在するのかといえば、人々が菩薩行を行うその実行の中にこそ存在するのです」。信仰者の基本的な心構えを教えた一節。

学生時代、主に仏教の勉強をしてきた。般若経、浄土三部経……学者のような顔をして、「この教えのここが気にくわない」「これからの宗教はこうあるべきだ」などと、ずいぶん大それたことも口にしたものだ。

卒業し、佼成新聞記者となった。取材で、信仰を生活に生かした多くの人々に出会った。身心障害者のために身を粉にして働く青年、毎朝人知れず清掃奉仕しているおばあちゃん、街頭募金に立つ小学生。そうした人々を前にしてふと思う。〈学生時代に勉強した宗教は、いったい何に役立ったのか。単なる知識だったのか〉。

先日、こんな思いを、ある壮年部員さんに話した。すると、その人いわく。「おれも同じようなものだ。法華経の教学を学んでおきながら、家では夫婦ゲンカ。情けなくなる」。宗教は、信じ、理解しても、それで事足れり、というものではない。実行することによって、初めて生命が脈打ってくる。私のような“頭でっかち”が、一番始末に負えないに違いない。
(J)