法華経のこころ(1)

即ち童男・童女の身を現じて為に法を説き

「観世音菩薩は童男・童女の姿をもって救うべき者には、その姿となって表れ説法する」。この〈二童身〉を含め、観世音菩薩は三十三身を現じ全衆生を教化する。私たちの周囲にはたくさんの観世音菩薩がいることを教えた一節(観世音菩薩普門品)。

親や年長者からの言葉には聞く耳を持たぬが、わが子の言うことには敏感に反応するという“親バカ凡夫”は世に多い。どうやら私も、そのたぐいらしい。目と鼻を真っ赤にしながら「頭も重い」と、家内がつらそうな顔で話しかけてきた。症状からみて、春先によくある、花粉によるアレルギー症のようだ。

「大丈夫かな」と心配げな家内に対し、私は「いや、去年みたいに長いことかかるぞ。早く医者に診てもらいなよ」と何げなく応じた。それを横で聞いていた小2の長男が突然口をはさんできて、「大丈夫だよママ。ボクだって長いセキだったけど治ったんだから」。それを聞いてハッとした。

どうしたらよいかの判断ではなく、長男は母親の思いをくんでいた。病気にかかれば医者に行けばよいのはだれだって知っている。しかし、今、彼女の求めていたのはそんなことでなく、「大丈夫」の一言だったのだろう。私はこんな心通わぬ会話を、他でもきっとやっているのに違いない。
(O)

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