共生へ――現代に伝える神道のこころ(10) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

感染症が流行する中で迎えた今年の正月。全国の神社では感染リスクを避けるため、マスクの着用や対人距離の確保、消毒の徹底などの対策が取られた=東京・渋谷区の金王八幡宮

いつの時代も感染症の厄難に対し、防疫を願う人の心に寄り添う神社

今年のお正月の初詣は、例年の光景とは大いに異なる様相であった。明治神宮や成田山新勝寺、川崎大師などをはじめ、東京や大阪、京都など各地の有名な社寺で「一月一日の参拝者が昨年比で何割減少した」などと、社頭の様子を新聞やテレビ等のマスメディアが報じた。昨年一月末から続く新型コロナウイルスの感染拡大は、従来の元日風景までも一変させたのである。例年、三が日の参拝者が三百万人を超える明治神宮では、新型コロナウイルスの感染防止策の一つである「密」を避けるために、大晦日(おおみそか)の夜から元旦までの夜間閉門が実施されたことは、読者の方々も記憶にあるだろう。

毎年、多くの参拝者で賑(にぎ)わい、人々の祈りを受け入れてきた神宮側にとって、正月の初詣の折にこのような対策を取ることは、危機管理・衛生上の観点からやむを得ないことであったとはいえ、苦渋の決断でもあったと言えよう。小生が伺った話であるが、昨年四月の最初の緊急事態宣言の期間に、境内の閉門を決めたある神社では、毎朝参拝に訪れる篤信の崇敬者らから「どうしても本殿の前まで進み、お参りをしたいのだが、できないか」という悲痛な問い合わせが相次いだという。コロナ禍は、社寺に対する素朴な人々の信仰の心と形を、一時的ではあるが奪ってしまったのだ。

その一方で、別の神社では緊急事態宣言の期間中だけという名目で、神社に参拝した際に社頭で頂くことが本義のお札やお守りを、郵送等で申し込み、送付できるところも見られ、神社本来の在り方、頒布にかかる自主規制を、やむを得ず崩すような事例も見受けられるようになった。

東京・浅草の三社祭や京都の祇園(ぎおん)祭、大阪・岸和田のだんじり祭りなどの大規模な祭礼も、昨年度は神輿渡御(みこしとぎょ)や山鉾巡行(やまほこじゅんこう)などを中止せざるを得ない状況となり、各地域の神社祭礼も同様に規模の縮小、もしくは中止を決断するケースが相次いだ。本殿での少人数での祭祀(さいし)自体は斎行するものの、神輿渡御など祭礼への参加を通じて神社そのものと人々とが触れ合う機会が減少したことは、コロナ禍がひしひしと神社信仰に影響を及ぼすに至っていることを直(じか)に感じ取る出来事でもあった。

全国の各神社では、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、社頭での神符(しんぷ)・守札(しゅさつ)等の授与時の感染防止策に加え、参拝時の「密」を避けるため、年末には初詣参拝の分散化が呼びかけられ、十二月中旬からの「幸先詣(さいさきもうで)」の広報も積極的になされるなどの対策が取られていた。こうした事象も含め、神社の護持・運営の問題と神道教学上の問題との兼ね合いをどう解決するかが、このコロナ禍によって課題として浮かび上がった。

一方、地域所在のいわゆる氏神神社と称されるような社(やしろ)では、今年の正月も例年同様、もしくは例年よりもやや少なかった程度で、感染防止策を講じつつ参拝者や新年祈禱(きとう)を受け入れたというケースもあったと聞く。その点では地域所在の人々で護持・運営されてきた神社の強さを実感した次第である。

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