利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(31) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)
画・国井 節
新政党の登場から考える公共性の理念
首相側近が目立つ新内閣の顔ぶれには倫理性が感じられず、日韓の紛争には鎮静化する兆候がない。前回(第30回)に書いたように、社会から公共性が減退していくに従って、自由が後退し、戦争の危険がもたらされる。参院選で初めて議席を獲得した、「NHKから国民を守る党」(N国党)の出現からも、この問題が垣間見える。
N国党は、NHKをスクランブル放送(契約者だけが受信できる放送)にすることを主張しているが、それ以外には政党らしい理念や政策がない。選挙後に、批判的なコメントをしたタレントに激しい抗議をしているように攻撃的な体質を持っている。それゆえ、公共的良識が欠け、民主主義の質的低下ないし衆愚政治の兆候と懸念されている。
とはいえ、NHK批判が一般的に高まっていることも、この政党が台頭した一因かもしれない。特に近年の政治報道は、政府寄りで偏っているとしばしば指摘されている。つまり、「公共放送」というよりも「国営放送」(公放送)のようになってしまっているというのだ。このため、国民の信頼が低下しており、受信料を払いたくないという感情を高めているのかもしれない。つまり、N国党を巡る問題とは別に、「公共放送」という理念を回復させるための議論が改めて必要だ。
左派ポピュリズムの両義性
他方で、同じく初議席を得た「れいわ新選組」は、消費税廃止などの思い切った政策を主張し、難病当事者や障害者を(特定枠を利用して)当選させる戦術を取って、反響を呼んだ。この新政党が結成される前から、私はメディアの取材に対して日本における「左派ポピュリズム」の代表例として山本太郎氏を挙げていたが、今やこの言葉は広く知られるようになった。
ポピュリズムという概念は、「体系的な理念や政策を持たずに大衆に迎合して人気を得ようとする政治」というネガティブな意味と同時に、「既成政党やエリート層を批判して人々のための政策を主張する」というポジティブな意味も持つ。よって、善悪どちらかだけにすぐに位置付けられるものではなく、両義的な現象である。れいわ新選組にも、政策の現実性における弱点がある一方で、日本政治に対して中長期的に有意義な刺激を与えるという可能性はあるだろう。