気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(30) 写真・文 浦崎雅代(翻訳家)

マナーの前に、気づきを向ける――「音」が教えてくれるもの

ここウィリヤダンマ・アシュラムでは、中国の方を対象とした10日間の「気づきの瞑想(めいそう)リトリート」が行われる。毎回20~30人の方が参加し、自分自身を感じ、気づきを高めるトレーニングの機会だ。今はちょうどその期間にあたる。今回は、日本からも数人が参加されていて、私も通訳として参加している。

タイ語で「チャルーン・サティ」と呼ばれる、体の動きを使った気づきの瞑想は、中国でも実践する人たちが増えている。中にはタイで出家し、修行に勤(いそ)しむ方もいる。皆、非常に熱心。法を学ぶ善き友の志に、国境はないのだと気づかされる。

リトリート中は八戒※を守る。そのため、食事は朝と正午前の昼の2回だ。そして、食事も気づきを高める修行の一つ。人とおしゃべりはせず、食べることに専念して食べる。ひと嚙(か)み、ひと嚙み味わいながら食べていく。

10日間彼らと接していると、食事の際のあることが変化していくのが分かる。それは「音」だ。リトリートの最初の頃、ご飯やおかずをそれぞれの皿によそう時、スプーンやおたまと食器がぶつかる音がガチャガチャと大きく鳴り響く。列に並ぶ際も、心なしか皆、焦っている。皿にご飯を取り分け、おしゃべりをせずに皆それぞれが沈黙を守って食べていても、皿とスプーンが接する時の音が、やはりガチャガチャと大きく響いているのだ。

ところが、その音は、日が経つにつれて、どんどん小さくなっていく。落ち着いてゆとりのある食べ方になり、少しずつ荒々しさがなくなっていく。

ある朝、瞑想指導をしてくれるスティサート師がこんな話をしてくれた。以前、耳の聞こえない方たちがお寺へ瞑想修行に来られたそうだ。最初は彼らも食事を取り分ける時、ご飯を食べる時の音がとても大きく、動きが荒々しい感じだった。けれども、動きを伴う気づきの瞑想をするにつれ、どんどん音が小さくなっていったのだという。本人たちには、その音は聞こえない。しかし、たとえ本人が気づかなくても、気づきを伴ってくると自(おの)ずとマナーが良くなってくるのだ、というお話だった。

※不殺生(ふせっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)、不妄語(ふもうご)、不飲酒(ふおんじゅ)の五戒に、装飾化粧をやめて歌舞を聴視しない、高くゆったりしたベッドに寝ない、昼以降何も食べないを加えた八つの戒め

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