「時代」の声を伝えて――文学がとらえた80年(21)番外編5 文・黒古一夫(文芸評論家)
「ユートピア」を求めて(5)――「谷間の村」に楽園を!
1960年代から70年代初めにかけて学生運動が起こった。「政治の季節」と呼ばれたこの時代の経験が私たちに知らしめたものは、高度経済成長政策の「成功」の裏側に、さまざまな「闇」あるいは「負の部分」が存在するということであった。
例えば、60年代末から始まった「水俣病」(熊本県・鹿児島県)、「新潟水俣病」(新潟県)、「四日市ぜんそく」(三重県)、「イタイイタイ病」(富山県)の四大公害病訴訟が大きな社会問題となる。これを受けて、71年7月に「環境庁」(現環境省)が設置されたが、利益を最優先させ、市民の生活(生命)を蔑(ないがし)ろにする企業への監督指導を目的とする中央行政機関の設置は、まさに「豊かさ」を求めて驀進(ばくしん)してきた戦後社会が曲がり角に来ていたことを如実に物語る出来事であった。
その後80年代から90年代にかけて、世界で「大気汚染」「水質汚染」「土壌汚染」などの自然環境の悪化が問題になった時、曲がりなりにも日本が主導的な役割を果たすことができたのは、「公害先進国」としての経験があったからにほかならなかった。そして、経済成長のみを優先した、そのような「豊かさ」の代償として「公害」を発生させる社会が、決して私たちに「幸せ」をもたらすわけではないことも、この時期明らかになった。60年代から70年代の初めにかけて「豊かさ」を求め爆走する社会に背を向けて「ドロップ・アウト(離脱)」する若者たちが出現するようになったのは、まさにそのことを象徴していた。