「普門館とわたし」特別編――識者の思い(2)

富樫鉄火(音楽ライター)

わたしが普門館へ初めて入ったのは、大学生だった1977年11月の全日本吹奏楽コンクール(全国大会)、および、カラヤン&ベルリン・フィル公演だった――と、あちこちに書いてきた。

ところが、先日、古い資料をひっくり返していたら、1973年の東京都大会のプログラムが出てきて、会場が「普門館」となっていて、驚いた。この年、わたしは中学3年だったが、まちがいなく、この大会を聴きに行っている。中学の部の課題曲、兼田敏の「吹奏楽のための『寓話』」を演奏する豊島十中や赤塚三中をはっきり覚えているし、だいたい、実際に行ったからこそ、プログラムを購入できたはずである。

しかし、会場が普門館だったことは、まったく忘れていた。てっきり、杉並公会堂あたりだと勝手に思い込んでいた。記憶なんて、いい加減なものである。

そんな普門館が、ついに閉鎖・解体されるにあたっての、舞台の“一般開放”(11月5~11日)に行ってきた。建物の閉鎖にあたり、このようなイベントが、よく行なわれるものなのか、わたしはまったく知らない。だが、こんなひねくれ者のわたしが、思わず感動させられてしまった。というのは、普門館の運営側スタッフ(立正佼成会、佼成文化協会、佼成出版社、東京佼成ウインドオーケストラなど)の対応やホスピタリティが、見事だったからである。

そもそも、この種のイベントで、入場無料なのはわかるとしても、予約不要であることに驚いた。わたしも仕事柄、さまざまなイベントにかかわっているが、何人くらいのひとが来るのか、まったくわからずに1週間、毎日、来場者を迎えるなんて、よくできたと思う。来場者には、受付で、ロゴ入りの外壁タイル片(補修用の予備)、御礼カードが全員に配布された。吹奏楽コンクールを主催する朝日新聞によれば、7日間でのべ12,000人が来場したという(ちなみに、今回は毎日新聞やフジテレビも報道していた)。

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