鼎談・世界の子どもたちの未来を考える 前編

日本ユニセフ協会(以下、ユニセフ)と立正佼成会が1979年にパートナーシップを結び、今年で40年目を迎えた。この間、全国の各教会の青少年部員が毎年、「一食(いちじき)ユニセフ募金」を展開。2014年からは浄財をグアテマラ、シエラレオネ、リベリアで行われているユニセフ関連のプロジェクトへ指定拠出を行い、支援を続けている。パートナーシップ40年の節目として、ユニセフ・グアテマラ事務所の篭嶋真理子副代表(18年8月より、ジャマイカ事務所代表)と庭野光祥次代会長、本会習学部・青年ネットワークグループの木原沙友里スタッフによる記念鼎談(ていだん)が6月5日、法輪閣で行われた。テーマは『母として、世界の子どもたちの未来を考える』。(文中敬称略)

身近な支援を続けることで「お互いさま」の関係に気づく

西 今日は、お子さんをお持ちのお母さんとしての視点から鼎談を進めていきたいと思います。篭嶋さんはユニセフの職員になる前は、高校の教員をされていたそうですね。

庭野 篭嶋さんは、なぜユニセフの職員になろうと思われたのですか。

ユニセフ・グアテマラ副代表の篭島氏

篭嶋 幼い頃から、世界の各地を紹介するテレビ番組を興味深く見ていました。国連への憧れもあったのですが、<国連などというところには奈良県の田舎に住んでいる私のような者ではなく、東京のような洗練されたところで育った人が入るのだろう>と思っていました。

学校の先生をしていた母親からは「女性も技能や技術を身につけていた方がいい」と言われて育ちました。母の存在がとても大きかったこともあり、高校の英語教諭になりました。赴任した学校で、勉強が苦手で将来の夢を持てない生徒や「入試に出ることだけ教えてください」と受験のためだけに勉強する生徒と出会いました。

一方で、世界には、勉強がしたくて何時間も歩いて学校へ行く子や、学校に椅子を持参する子がいることなど本やテレビ番組を通して知りました。教育にはいろいろな形があるとは分かっていながらも、矛盾を感じ始めたのです。教える立場になり、初めて<本当に学びたい子どもたちのために教えられることができたら、どんなにいいだろう>と考えるようになり、一念発起してユニセフの職員を目指して勉強をし直し、合格することができました。

ユニセフの職員として北ウガンダに赴任した時、戦闘に参加し、四肢を失った子どもがいました。その子を近所の友達が背負って学校へ行くのです。学校でみんなと一緒に、ワイワイ言いながら勉強している。そうした姿を見た時、教育はみんなを一つにする力があるのだと、実感しました。

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