特集・ありがとう普門館(1) 厳しくも愛おしいホール、それが普門館だった 大阪府立淀川工科高校名誉教諭・吹奏楽部顧問(一般社団法人・全日本吹奏楽連盟理事長) 丸谷明夫

普門館のステッカー。「We Love Wind Music!」(わが愛、吹奏楽)

淀川工科高校が初めて全国大会に出場したのは74年です。それから毎年、全国大会に出場してきました。普門館が全国大会の会場として毎年使われるようになったのは77年からで、その年その年の思い出があります。

くじ引きで、出番が一番になった年がありました。珍しく高校の部が、中学の部より先に行われた時で、大会の初日に演奏することになりました。11月の寒い日でした。ただでさえ広くて暖房の行き届きにくいホールです。

ロビーからお客さんが客席に入ってくるたびに会場内には冷たい外気が流れ込んできました。冷えた空気は暖かいところに流れますから、開演と同時に緞帳(どんちょう)が上がると、客席からステージの方に風が流れてくるのを背中で感じました。「これでは風に流されて音が客席に届かへん」。演奏後、手厳しい批評が私たちを待っていました。その後、“朝一”の出番の学校にはステージで事前に演奏できる権利が与えられるようになりました。巨大なホールゆえの苦い思い出の一つです。

普門館のホールにはそうした“厳しさ”がありました。ホールの音響は、ごまかしが利きません。いい演奏、そうでない演奏を如実に知らしめる。それだけに〝積み重ねた努力を受け止めてくれる正直さ〟が普門館にはありました。小手先だけの技量では通用しない。だからこそ、「どうしたらお客さんにいい演奏を届けられるのか」「自分たちはどんな演奏をしたらいいのか」を生徒たちは真剣に考えます。技術を磨いたり、改めて楽器のことを勉強し直したりもする。それが成長につながりました。

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