「キリスト教の環境保全祈願日 『剣を鋤とし、槍を鎌とする』」など海外の宗教ニュース(海外通信・バチカン支局)

キリスト教の環境保全祈願日 『剣を鋤とし、槍を鎌とする』
毎年9月1日、世界のキリスト教諸教会は協調して「創造(環境)保全のための世界祈願日」を執り行っている。カトリック教会では今年で第11回を迎える。
1989年、正教会のコンスタンティノープル(現トルコ・イスタンブール)・エキュメニカル総主教であるディミトリオス1世は、9月1日を「創造(環境)保全のための祈りの日」と定めた。その後、この取り組みは、神による創造の美を謳(うた)ったアッシジの聖フランシスコの祝日である10月4日まで続く「創造の季節」へと発展した。現在は、カトリック教会、正教会、プロテスタント諸教会、英国国教会(聖公会)などによって支えられている。特に、世界教会協議会(WCC)、ラウダート・シ運動、ルーテル世界連盟などの支持を受け、世界のキリスト教界に広がっている。
今年の「創造の季節」のテーマは『いのちの水』(Living Water)。旧約聖書のエゼキエル書47章には、神殿から湧き出た水が川となり、その川が流れる所では水が清められ、全てのものが生き返るとの記述がある。水が持つ「生命を回復させる力」がテーマの由来だ。
同祈願日に向け、ローマ教皇レオ14世は8月20日、『彼らは剣(つるぎ)を打ち直して鋤(すき)とし、槍(やり)を打ち直して鎌(かま)とする』(イザヤ書2章4節)と題するメッセージを発表した。同節には、「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる」「国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」と記されている。
メッセージの中で教皇は、神が創造した「生命という贈り物」が、「キリストの弟子としての私たちの使命と、愛の文明を築くという共通の呼びかけの中核」にあると言明した。「創造(環境)保全のための世界祈願日」については、「贈り物である生命と、その生命を支える地球について黙想する日」と位置付けた。
また、「イエス・キリストにおいて啓示された生命の神」は、「この世が与えることのできない平和をもたらす」と説く一方、「神からの平和の約束は、世界の多くの地域で見られる現実と鋭く対立する」と分析した。イザヤ書には、生命を損なうものを生命を支えるものへと変えるときが来ると記されているにもかかわらず、「私たちは、その正反対に、暴力と戦争へ力が注がれ続ける世界を目の当たりにしている」と指摘した。
教皇避暑宮殿内の環境庭園施設「ラウダート・シ」で「創造保全のための世界祈願日」のミサを司式する教皇
さらに、「戦争は数世代にわたって社会と環境に破壊をもたらす」と糾弾。「武力紛争と環境破壊はしばしば悪循環を生み、生態系を破壊し、空気や水などの生存に不可欠な資源を汚染し、食料安全保障を脅かす」と警告した。こうした世界の現状について、「単なる政治的な失敗であるだけでなく、道徳的、霊的な落ち度でもある」と憂慮。「戦争は、ゆがんだ欲望と、人間に与えられた自由と力の乱用に根差すものであり、平和の福音を否定する実例だ」と厳しく非難した。
教皇は、「暴力、不正義、環境破壊といった世界の不協和音は、制度や構造上の不備だけに起因するものではなく、人々の内なる不和や分裂が外に表れたもの」であり、「戦争の傷と地球環境の破壊は、人間の心の状態と深く結び付いている」と指摘した。その上で、「私たちの周りで壊れているものは、私たちの心の中で壊れている」からだとし、「紛争の根本原因と被造物の搾取は、倫理的、文化的な危機の表れである。そこには、限度をわきまえる感覚の喪失、支配欲、目先の利益の追求、神から与えられた人間の尊厳を認めない態度がある」と主張した。
最後に、「平和を打ち立てる真の手段は、破壊の兵器ではなく、真理、対話、忍耐、善意、正義、慈しみ、理解、配慮、そして愛である」と呼びかけ、メッセージを結んだ。
教皇レオ14世の説く環境論は、環境問題が政治、経済、社会などの問題と密接に結び付いているとする、先代教皇フランシスコの「包括的なエコロジー」を継承しつつ、自身が重視する「平和の神学」を融合させたものだ。
世界の356のキリスト教諸教会が加盟し、約5億8000万人の信徒を代表するWCCは8月27日、2026年の「創造の季節」への参加を発表した。
ジェリー・ピレー総幹事は、神殿から流れ出た水が海へ至り、その水を清め、両岸の木々が食べ物と癒やしをもたらすという旧約聖書の記述に言及。その上で、「これが『創造の季節』から諸教会に与えられる約束である。神の臨在の中を水が流れる所では、死につつあるものが再び生き返ることができる」と強調した。さらに、「WCC加盟教会の多くが、既に干ばつや洪水などの危機に見舞われた共同体に奉仕している」と指摘。「彼らにとって祈りと行動は二つの別々の呼びかけではなく、一つである」と強調し、「諸教会は、岸に立って眺めるのではなく、川が持つ癒やしの力の一部となるよう求められている」と訴えた。
聖フランシスコが病に苦しみ、視力も衰えた状態で『自然賛歌』を作詞し、神による創造の美を謳ったアッシジでも「私たちの共通の家(地球)が、気候変動によって灼熱を帯び、強い渇き、それも、平和、正義、真の関係に対する渇きを体験している」と主張し、「聖フランシスコの“被造物の賛歌”(自然賛歌)と彼の生涯に倣い、私たち一人ひとりが、どうしたら、いきた水の源泉となり得るか」(アッシジフランシスコ修道会)を模索していくために、種々のイニシアチブが展開されていく。
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