内藤麻里子の文芸観察(49)

京極夏彦さんは1994年、『姑獲鳥(うぶめ)の夏』で鮮烈なデビューを果たした。以降、怪異が彩る事件の謎を古書肆(こしょし)の主、中禅寺秋彦が解いていく「百鬼夜行」という人気シリーズに成長した。『鵼(ぬえ)の碑(いしぶみ)』(講談社)は同シリーズの17年ぶり、長編10作目となる新作である。いつもの妖しく、惑溺(わくでき)させる雰囲気の中で、新しい時代の息吹を感じられる作品となっている。

時は昭和29(1954)年。ある劇団の座付き作家は缶詰めになっているホテルの従業員から、殺人の記憶を告白される。探偵助手の益田龍一のもとには失踪者の捜索が持ち込まれる。警視庁の刑事、木場修太郎は20年前に消えた3体の他殺体の話を聞く。そして中禅寺は文書整理の助力を頼まれ、日光・輪王寺にいた。友人の作家、関口巽(たつみ)と、探偵の榎木津礼二郎もそれに合わせてホテルに滞在中。益田も木場も謎を追って日光にやって来て、シリーズの常連が顔をそろえることになる。今回、全編を覆う怪異は「鵼」である。

鵼とは、頭は猿、体は狸(たぬき)、尾は蛇、手足は虎という怪獣で、本書は登場する人物ごとに、関口は「蛇」、益田は「虎」、木場は「貍(たぬき)」などと章を分け、次々に語っていく。そして章の名にふさわしいエピソードや描写がある。鵼について記した古典籍には、声はすれども姿は見えない様子が書かれている。そこにあっても頭の中ではいないことにされている経験や、いたと思ったのにいなかったことなどがあちこちで不穏に語られ、読む者を眩惑(げんわく)していく。この「眩惑」こそが、「百鬼夜行」シリーズを読む醍醐味(だいごみ)である。

とはいえ、今まで『姑獲鳥の夏』『魍魎(もうりょう)の匣(はこ)』『狂骨の夢』などを覆っていた怪異の妖しさと比べれば、本作でのそれはやや薄い。時代設定は昭和29年、過去作に比べたら現代にほんの少し近づいているのだ。そこで時代の新しい風を吹かせる。例えば、本書で初めて登場する緑川佳乃は病理医だが、「女医」と呼んでいいのか、ある登場人物に逡巡(しゅんじゅん)させる。昨今、話題の陰謀論や、多様性と差別についても言及する。緑川は中禅寺らの知り合いらしいが、本作では関係をつまびらかにせず、次作以降に含みを持たせた。

さて、ストーリーはさまざまな謎に日光東照宮の歴史や、太平洋戦争中の特別高等警察、原子力の武器使用などが絡んできてさらに混迷の度を増す。中禅寺の“憑(つ)き物落とし”と言われる謎解きは、どんな決着を見せるのか――。本作は、単行本とノベルスの両タイプが同時に発売されている。私はノベルスで読んだが、どちらにしても本の束は厚い。だが、この厚さが惑溺、眩惑の源なのだ。

プロフィル

ないとう・まりこ 1959年長野県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。87年に毎日新聞社入社、宇都宮支局などを経て92年から学芸部に。2000年から文芸を担当する。同社編集委員を務め、19年8月に退社。現在は文芸ジャーナリストとして活動する。毎日新聞でコラム「エンタメ小説今月の推し!」(奇数月第1土曜日朝刊)を連載中。

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