大人が学ぶ 子どもが自分も相手も大切にできる性教育(3) 文・一般社団法人ソウレッジ代表 鶴田七瀬
画・一般社団法人ソウレッジ
『教育現場での意思確認・選択について』
日本で「性教育」という言葉を聞いた時、保健体育の授業や本を読んで知識として学ぶ「勉強」を想像される方がまだ多いと思います。しかし、私が考える性教育の定義は「行動を変えるための環境整備」です。子どもたちが悩みを持った時に相談できる大人や組織を知っていること、相談しようと行動できること、悩みを聞く大人が適切に対応できる状態でいることも、「性教育=日常の環境整備」に含まれます。
学校などでよくある「1回だけの性教育講演」で子どもたちに行動の変化を促すことは、正直難しい。「社会全体に性知識を届ける」「子どもが悩んだ時に相談できる先を整備する」「社会で自分の権利が尊重される経験をし、そこから相手を尊重する方法を知る」など、たくさんの要素が組み合わさった時に、やっと行動の変化を促すことができると私は考えています。
しかし、子どもが学校の校則や家庭内のルールに納得できず、大人に説明を求めたり、変更を求めたりしても、「決まりだから」としか回答をもらえず、どうしてその決まりがあるのかを説明されない。入学と同時に全ての規則に同意したものとみなされるような学校はいまだにあります。
つまり、同意のない校則や家庭内のルールが当たり前とされている状態です。そのような環境では「社会の中で自らの気持ちを確認され、権利を尊重される」とは真逆の経験を積み重ねてしまうことになります。同意していない規則に従わなかったら叱られたり、退学を暗に促されたりする状態で、「困ったことがあったら身近な大人に相談しよう」「嫌なことを嫌と言っても大丈夫」「嫌と言われたらその相手の気持ちを尊重しよう」という授業を受けたとしても、子どもたちに伝わるはずもありません。普段から権力を持つ側から子どもへ同意のない規則の強要が行われているのであれば、話に矛盾が生じます。
世界の包括的性教育の指針となる「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」には、効果的な授業をつくるためには「一貫したメッセージ」が重要だと記載されています。つまり、日常の中で性教育を行わずして本当の意味での教育(行動変容)はできません。
「いけないって分かっているけど、『コンドームをつけなくていいよ』と言ってしまう」
私は、ソウレッジの元インターン生が、かつて言った一言が衝撃的で忘れられません。
自分の気持ちを尊重されたことがなく、自分の価値をセックスの時以外感じられない。嫌なことを嫌と言ったら見捨てられるかも、という不安がある。だから、どうしてもセックスの時に「コンドームをつけなくていいよ」と言ってしまう。でも生理が遅れると不安で押しつぶされそう……。そんな「分かっているけど、行動を変えることができない」という、知識と行動のギャップを「Knowing-Doing Gap」といいます。その事象は知っていても、実際にソウレッジでインターンをするような、性知識の重要性を理解しているはずの子から聞くとは思っておらず、驚きました。
近年、性教育に関心を持つ親は増えつつあり、性知識を得る場は今後数年で、どんどん増えていくことが予想されます(もちろん、性教育の普及に取り組む方がいるからで、勝手に社会が変わっていくことはありません)。
しかし、性知識の習得とともに「自分の人生を自分で選択していく自己効力感(自分の能力、可能性を認知すること)」を得られる環境を整えるまでして、やっと、性知識はその力を発揮すると考えると、性教育ってすごく幅広い要素が折り重なっているなと感じませんか?
その「性の行動変容につながるさまざまな要素を包括的に学ぶ必要がある」という気づきこそが、広い意味での性教育「包括的性教育」への最初の一歩です。
プロフィル
つるた・ななせ 1995年生まれ、静岡県出身。兵庫県尼崎市在住。日本で性教育を行うNPO法人でインターンをしたのち、文部科学省主催による留学促進キャンペーン「トビタテ留学ジャパン」の支援を受け、性教育を積極的に行う国の教育・医療・福祉などの施設を30カ所以上訪問。帰国後に「性教育の最初の1歩を届ける」ことを目指し、2019年に一般社団法人ソウレッジを設立した。「Forbes 30 UNDER 30 JAPAN 2021 日本発『世界を変える30歳未満』30人」受賞。
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