男たちの介護――(16) 遠距離の老老介護 母と穏やかな時間を過ごすために

ただ、一方の政夫さんはといえば、ケアマネジャーからデイサービスへの参加を勧められても拒むようなことが常態化していた。体調を崩す以前、村議会議員を12年務め、地域行事の世話人などを担ってきたからだろうか。仲田さんには、「お世話される側」になることに抵抗感を持っているように見えた。それでも、地域の人と触れ合って気晴らしをすれば、少しでも長く元気でいてくれるはず……と、母と共に「半日でいいから」となだめて送り出した。

ある朝、デイサービスを嫌がる政夫さんと「早く迎えに行くよ」と約束を交わした。迎えに行く時間を前に、仲田さんが出先から生家に戻ると、まだデイサービスにいるはずの父が玄関先で背中を丸め座り込んでいた。待ちきれず、職員に送り届けてもらったという。「どこへ行ってた」。政夫さんの声が響いた。用事を済ませていたことをゆっくりとした口調で伝えると、再び大きな声が返ってきた。「親の用事以上に大切なことがどこにあるんだ!」。今にもこぼれ落ちそうな涙をこらえて立つ父の姿を見て、仲田さんは黙ってうなずいた。父親の言葉を静かに受け入れ、反すうする。政夫さんはその頃から薬の副作用で時折、物忘れや攻撃性のある言葉を発するようになっていたのも事実だ。元来、言葉はぶっきらぼうだが、一方的に感情を吐き出す人ではなかった。その父に本気で怒られたのは、幼い時以来のことだった。両親の生き方を思い返しながら、父の気持ちを否定しない接し方をしようと心に留めた。

だが、平成25年8月中旬、政夫さんは誤嚥(ごえん)性肺炎を起こし、10日の入院の後、きよさんと仲田さんが見守る中で静かに息を引き取った。享年91。大きな存在だった父を亡くし、悲しみに包まれていたその時、仲田さんは、これから一人暮らしになる母の生活に思いを巡らせていた。

(つづく)

※記事中の人物は、仮名です

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