男たちの介護――(14) 母への感謝 激動の中で見えた幸せ

ぼんやりと天井を眺めていると、智子さんがベッドを起こしてくれた。「手術がうまくいって本当に良かったわ」「頑張れば何でもできると思っていたけど違った。長く続けるためには無理のし過ぎは良くない」。

チヨさんは27年前に義父を亡くしてから、ずっと家を守ってきた。岡田さんは娘婿としてかわいがられ、頼りにされた。チヨさんのそばにいると幸せだった。介護するのは自分しかいないと考えた。

しかし、一人で介護するのには限界があった。介護者自身の心と体が健康でないと共倒れになってしまう。そう実感した。

岡田さんは、チヨさんの介護について夫婦で語らい、同居する長男夫婦にも協力を求めた。介護以外でも立正佼成会の教会に足を運び、法座(会員が互いの悩みや苦しみ、信仰の喜びを語り、教えに基づいて語り合う立正佼成会の修行の一つ)や研修会など、積極的におしゃべりの輪に加わった。

今年2月下旬、チヨさんは食べ物をうまくのみ込めず、食事量も極端に減った。最期は自宅で看取(みと)りたいとの思いから、近所の主治医とも連絡をとり、人工呼吸器を取り寄せた。

3月3日午前1時過ぎ、チヨさんは昏睡(こんすい)が続いていた。安らかな時間だった。岡田さんはチヨさんの背中をさすっていた。少し前までせき込んでいたが、苦痛は治まっているようだった。「もっと生きてください」。岡田さんはチヨさんの手を優しく握り、視線を合わせ、ゆっくりと語り掛けた。その会話がいったい何分続いたのか、岡田さんは覚えていない。そこには不思議と涙はなく、限りなく深い充足感だけがあった。

主治医が到着したのは午前2時。岡田さんの腕に抱かれながら、チヨさんは旅立っていった。92歳だった。岡田さんは言う。「義母の介護は人として成長できるチャンスでした。家族が幸せになるための機会を仏さまから与えられたような気がします」。

※記事中の人物は、仮名です

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