男たちの介護――(7) 妻と娘のダブル介護 家族との時間を大切に過ごす日々

「妻の面倒は自分が」の一念で

ダブル介護。言葉自体は耳にしたことはあった。しかし、自分に降りかかってくるとは、小谷正臣さん(77)は思ってもいなかった。正臣さんは妻と娘の介護をしなければならなくなるのだが、娘の晶子さんが、がんで平成30年3月、46歳で亡くなるまでの9カ月はまさに“ダブル介護”の時期だった。

妻の晴枝さん(75)に異変が起きたのは平成25年9月。夜、テレビ番組を見終え、就寝しようとした時だった。「足がしびれて動かない」。トイレへ行きたいのだが、立ち上がれないと言う。抱き起こしてトイレまで連れて行ったものの便座に腰掛けていられず、力が抜けてしまったように右側に倒れかかってしまう。ただごとではなかった。別室で就寝していた晶子さんを起こし、救急車を呼んだ。

検査の結果、脳内出血と診断された。脳内の血管が破れて出血し、その血液が塊となって脳細胞を圧迫することで頭痛や運動まひ、言語障害などの症状を起こす。晴枝さんは、右側の脳血管を損傷していた。翌日、緊急手術が行われたが、予定以上の時間がかかった。〈ダメなのではないか〉と不安もよぎった。手術後、医師から出血がなかなか止まらなかったと説明を受けた。

集中治療室(ICU)で意識を取り戻した晴枝さんは一般病棟を経て、リハビリ専門の病院へ転院した。入院日数は209日に及んだ。洗濯、掃除、買い物、食事の用意と、正臣さんは朝4時半起きで家事をこなした。料理は購入したテキスト本を見ながら作った。自分だけなら適当に済ませたかもしれない。ただ、生後間もなく化膿(かのう)性髄膜炎と水頭症に罹患(りかん)し、知的障害と身体障害のある晶子さんのことを考えると、手を抜くことはできなかった。入院中、懸命なリハビリを続けた晴枝さんだが、脳内の多量出血の影響は大きかった。左の手足に運動まひの症状が現れた。30秒も自力で立っていることさえできない。人の顔は判別できるが、30分前の記憶はなくなってしまう。排せつの介助も受けなければならない。