食から見た現代(32) 変わりゆくキャンパスライフと大学の試み 文・石井光太

写真はすべて武蔵野大学提供
近年、日本の大学の学食(学生食堂)では、様々な趣向を凝らしたサービスが提供されている。その中でもここ5年ほどで広まっているのが、「100円朝食」という格安の朝食だ。
もとは慶應義塾大学ではじまったといわれているが、大学によっては夕食までワンコインで食べられたり、特定の日に無料で学食が振る舞われたりする取り組みまで行われている。
学食は、一般的な飲食店と比べて経営が難しいといわれてきた。春夏冬の長期休みの期間は営業できない上に、売り上げの大半は昼休みに集中するためだ。その中で朝食を100円で提供しようとすれば、大学からの経済支援なしでは実現は難しい。
現在、私立大学の半数以上は少子化の波の中で赤字経営に陥っている。その中で、どうしてこのような大学が身を削るサービスが全国的に普及しているのか。
2026年から試験的に100円朝食をスタートさせた大学に武蔵野大学がある。ここの学生部長であり、工学部建築デザイン学科の教授である伊藤泰彦氏に話を聞いた。
臨海副都心エリアのオフィス街に溶け込むように、武蔵野大学有明キャンパスの校舎は建っている。ビルのような外観の校舎に入ると、エレベーターなどいたるところに「100円朝食」のチラシが貼られていた。校舎内のロハスカフェと呼ばれる食堂で、午前8時~10時30分の間に提供されているのだ。
有明キャンパスでの100円朝食は、1日50食限定。メニューは固定と日替わりがあるが、この日は「あんことバタートースト」「ベーコンエッグタルタルトースト」「ミネストローネスープ」「和風豆乳スープ」「カリースープ」となっていた。どのメニューにもスープとサラダがついていて、外で食べれば1000円前後はすると思われるほどの豪華な食事だ。
予約制ではないため、開始前には学生たちの列ができる。中には1時間以上前から並ぶ人もいるほどだ。用意された50食は1時限目がはじまる時刻には完売し、余ることはほとんどない。それほど学生から好評なのだ。
伊藤氏は話す。
「本学で学食のサービスを充実させているのは、大学がキャンパス内の居住性を高めることが課題と捉えているからです。ライフスタイルが多様になった時代に、安価で栄養価の高い食事を提供することは学生の生活を豊かにさせることの一つになります。少し前まで大学は学力やブランドで選ばれたり、評価されたりしていましたが、最近はどこまで学生に寄り添い、満足してもらえる環境を整えているかが基準になりつつあるのです」
たしかにここ20年くらいの間で、大学の学生に対する指導やサービスはかなり手厚くなった。
学習面でいえば、学力の劣る学生向けにきめ細かな補講を行ったり、大学生向けの学習塾を紹介したりしている大学もある。また、保護者会や三者面談を開催するところもある。
学食も例外ではない。大学によってはスターバックスコーヒーやモスバーガーのようなチェーン店を入れたり、キッチンカーを誘致したりしている。中には、学生が自炊できるように料理教室を開催することすらある。
100円朝食が、このような学生向けのサービスの一環であることは事実だろう。とはいえ、毎日50食といえども、大学側には人件費も含めればそれなりの負担になる。そこまでして行う理由は何なのか。
「まず物価高の中で学生を食事の面から支援する目的があります。経済的に困窮している学生は少なくありません。本学では、国の高等教育修学支援新制度(授業料減免等)やJASSOの奨学金、加えて本学独自の学内奨学金制度を設けています。うちの学生でいえば、約3人に1人が奨学金を利用している状況です。今の学生の奨学金受給率は高く、アルバイトを掛け持ちしている人もいます。そうしたことを踏まえた場合、早い時間に大学へ来さえすれば、朝食をお得に食べられるサービスを用意することは大切だと思っています」
大学生の経済的困窮は、格差の拡大や物価高によって年々深刻化しているといわれている。それを象徴するのが学生の奨学金受給率だろう。30年くらい前、大学の昼間部の奨学金受給率は20%そこそこだったが、今は50%を超えている。
学生向けの奨学金の多くは返済が義務付けられており、中には利息がつくものもある。いうなれば学生のおおよそ2人に1人は卒業した時点で安くて数十万円、一般的には数百万円の「借金」を背負っているのだ。
彼らがアルバイトを掛け持ちするのは、奨学金だけではやっていけなかったり、返済額を少しでも抑えたかったりするからだ。そして節約の際に真っ先に削るのが食費なのである。

武蔵野大学有明キャンパスで提供されている100円朝食
実際に30年前と今とを比べると、学生たちの昼食の光景で大きく変わったことがある。弁当を持参する人が増えたことだ。
私自身の学生時代をふり返っても、大学に弁当を作って持ってくる人はほんの一握りだった。弁当がかっこわるいという風潮もあったと思う。だが、最近は、学生が当たり前のように親に作ってもらった弁当を持ち込み、食堂で食べている光景が見られる。学生たちの間に節約志向が広まったことが、こうした変化を生み出したのだろう。
そのような学生にとって、大学が提供する100円朝食が大きな経済的支援になるのは言うまでもない。自前の弁当より安価で、かつ温かくて腹持ちがいいとなれば、毎日50食分があっという間に売り切れるのは当然だ。
伊藤氏はつづける。
「100円朝食のもう一つの目的として、学生の孤立を防ぐことがあります。本年度から実験的に行った100円朝食は、新学期がスタートする4月からの1学期(4月~6月中旬)と、夏休み明けの9月からの3学期(9月~11月)に提供しました。いくつか理由はあるのですが、その一つに新しい学年がはじまる4月と夏休み明けの9月は学生が孤立しやすいということがあります。そのため、100円朝食によって学生が大学に来やすい環境、友達とつながりやすい環境を整えたいという思いがあるのです」
学生の孤立は、経済的困窮と並んで、多くの大学が抱える共通の課題だ。かつて大学では友達作りは当然の自助努力と見なされていた。だが近年は、友達ができない、集団の中に身を置けない、授業についていけないといった理由で大学生活に嫌気がさし、中退する人が一定数いる。
大学側からすれば、学生が一人中退すれば数百万円の収入を失うことになるため大きな損失だ。そこで大学は様々な取り組みによって、学生の孤立を防ごうとしている。
私が知る大学の中には、入学前から複数回のオリエンテーションを開催して学生たちにLINEのIDの交換を促したり、定期的に保護者を含めた三者面談を行って悩みを聞いたりしているところもある。
中高年の世代の人は、この状況に首を傾(かし)げるかもしれない。しかし、近年はスマホをはじめとした社会環境の変化で若者の人とつながる力が弱くなっているという指摘もある。事実、中学生の不登校は1割に迫る勢いで増えており、高校生の10人に1人が通信制高校に通っている。
さらにいえば、今の若い人たちはSNSに象徴されるように人間関係が昔より多様化している。そうなれば、中高年の世代が学生だった頃とはまったく違うところで、集団生活になじめなくなっていると考えられるのである。
武蔵野大学でも学生の孤立は大きな課題であり、心の支援が行われている。学生支援の窓口は学生支援課だが、それ以外にも学生相談室には臨床心理士が在籍しており、その数は武蔵野キャンパスと合わせて10名となっている。
伊藤氏は言う。
「100円朝食は、孤立の予防や居場所作りに役立っていると思います。たとえば、学生が友人と連れ立って食べに来る光景は日常ですし、ここで新たに人と知り合ったりすることもあるようです。うちの100円朝食は予約制ではありません。なので、オープンの少し前から並んで待っている学生もいて、そこで顔見知りになって人間関係が広がるようです」
100円朝食が提供されるロハスカフェは、学生が店内装飾やコンセプト設定に参加して作られたファッショナブルな店だ。学生は食事のためだけでなく、友人とお茶をしたり、本を読んだりしに来る。大学が目指しているのは、キャンパスが人と人とを結ぶプラットフォームになることなのだ。
「これは日本の大学全般に当てはまることだと思いますが、新型コロナウイルスの感染拡大以降、大学は大きく変わりました。コロナ禍で思春期を過ごした学生たちは、未だに横一列になって食事をしたり、人間関係に距離を置いたりする傾向にあります。だからこそ、今まで以上に学生には大学を居場所と思ってもらいたいですし、長い時間心地よく過ごせる空間を築き上げることが大切になっているのです」
1学期と3学期で行われた100円朝食によって、キャンパスの雰囲気は少なからず変わったという。中にはその日は講義がないにもかかわらず、登校して100円朝食を食べ、課題をしたり、友達と談笑したりする人もいるそうだ。そういう学生たちからは「安い」「美味しい」といった感想の他、「ここのおかげで朝から幸せな気持ちになれる」という声も上がっているという。
大学の役割が変わっていく中で、100円朝食の果たす役割はこれからどんどん大きくなっていくのかもしれない。
プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』『少子化に打ち勝った保育園─熊本「やまなみこども園」で起きた奇跡─』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)、『傷つけ合う子どもたち』(CEメディアハウス)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『「ことばで伝える」ができない子どもたち 誰が〈ことばの力〉を育てるのか』(日本実業出版社)。





