食から見た現代(31) 小さな日常を得る場所 文・石井光太

施設や生活困窮家庭で育った子たちに不足しているのは体験だ。親と一緒にスーパーで買い物をする、家族で一つの鍋を囲んで食べる、三角食べによって均等に出されたものを食べていく……。そういう体験が欠けていると、知らず知らずのうちに買い物に行くことに不安を抱えたり、人付き合いに苦手意識を持ったりする。

食事以外のことでも同じだ。これまで私が聞いた例であれば、食洗器で野菜を洗っていた子、外出のたびに冷蔵庫のコンセントを抜いていた子、ブレーカーが落ちたことがわからずに電気が止まった状態で生活していた子などがいる。極端な例と思われるかもしれないが、教えてくれる人や、見せてもらった体験がなければ、そうなるのは仕方のないことなのだ。

広報の藤好千晶氏(51歳)は話す。

「施設で何を教えられたか、何をしてきたかは、人によってバラバラなんです。職員は子どものために情熱と愛情を持って手厚いサポートを行っています。ただその反面、将来的な自立を見据えたとき、どこまで手を差し伸べるべきかという『見守りのさじ加減』に悩むケースもあります。

全般的に見れば、心配や不安の少ない環境で、トライandエラーができるという経験は少ないだろうなと思います。自分で意思決定して何かに挑戦した結果、失敗し、そこでたくさんのことを学び、できるようになるというプロセスは得づらいのではないでしょうか」

過剰に支援されるということは、子どもたちが自分で意思決定をする機会を減らされるということでもある。それゆえ、自分の意思を持たず、「何をどうしたいのか」という思考が抜け落ちてしまうことがあるのだ。

ゆえに、決定する機会が少ないまま大人になった人の中には、「何を食べたい?」「何を作りたい?」と言われても、「わからない」「決めて」と答える傾向が強いという。食事だけのことならまだしも、社会に出て職場でも同じようであれば、物事がどんどん悪い方向へ行くリスクもある。

藤好氏はさらに言う。

「ここで働きはじめた時に、児童養護施設で働いた経験があるスタッフに教えてもらったこととして、社会的養護の子たちの中には、快不快の感情がわからないという子が一定数いる、ということでした。

家庭の中で当たり前のように『快』の体験をしていれば、それと逆の『不快』なことが何なのかわかります。しかし、家庭の中が『不快』一色だと、そもそも『快』が何なのかわからなくなると言うのです。

たとえば、お風呂に入ることが『快』であると知っていれば、お風呂に入らないでいることは『不快』。でも、家でお風呂に入る機会を奪われつづけていれば、そもそもそれが快か不快かどちらかなのかわからない。だから、お風呂に入らないという状況を受け入れてしまうというのです」

本来、快不快とは極端な二者択一の感情ではない。ちょっとした快楽から絶望するような不快感まで無数のグラデーションがある。大部分の人はそのグラデーションに照らし合わせながら、自分の感情を認識し、取るべき行動を選んでいくが、それがなければ両極端な行動に出てしまう。

たとえばちょっとした快を求めて性行為や違法ドラッグに走るとか、ちょっとした不快を求めて自分自身を傷つけてしまうと言ったことだ。私自身、そういった若者にたくさん出会ってきた。

「B4S PORT よこはま」のスタッフやサポーターが、若者たちと接する中で行っているのは、食を通してそうした体験を提供することでもあるのだ。
 

「B4S PORT よこはま」に集う若者たちは、ここで一定期間を過ごした後どうなっていくのだろう。

ブリッジフォースマイル全体としては、先述したようにあくまで「B4S PORT よこはま」の事業は自立に向けての支援の一つだ。理想的には、ここでいろんな人と出会い、必要な経験を積んだ後、「卒業」していくことが望ましい。その先に待っているのは、自分で収入を得て生活をしたり、家庭を持ったりといったことだ。

とはいえ、全員が全員そうなるわけではない。10年以上も生活保護を受けながらここに通う30代の人、仕事を探していると言いつつ、なかなか、現状を打破できないというケースも少なくない。

小野寺氏によれば、それはそれで受け入れることも重要だという。

「ブリッジフォースマイルとしては自立支援ということを掲げています。この自立という言葉には、しっかりとした職に就いて経済的に独り立ちするような印象があると思います。そのこと自体は間違いではありませんし、そうなることに越したことはありません。

でも、利用者の中には障害などいろんな困難を抱えていて、そこまで到達できない人もいます。たとえば、障害や病気があって、どんなに頑張っても、就労支援の事業所でサポートを受けながら週2日くらい働くのが精いっぱいといった人です。

なので、『B4S PORT よこはま』としては必ずしもゴールを就職などに設定していません。ゴールは一人ひとり違うし、うちに求めているものも違う。だから、その人がここと出会ってよかったと思えたり、自分らしい生き方が見つけられたらそれでいいと考えて接するようにしているのです」

この言葉を聞いて、私は利用者がなぜ安心してここに通えるのかがわかったような気がした。

社会の中には、日常の細かなことからライフイベントまで様々な「規範」がある。こうするのが普通、こうするべきといった観念だ。自立もそうだし、就職もそうだし、結婚もそうだろう。

「B4S PORT よこはま」は、必ずしもそれを押し付けるわけではない。人は個性もタイミングも経験も千差万別だという前提に立った上で、社会で何かしら息苦しさを抱えている人が、ここに来て安心できるような空間を用意しているのだ。

だから、利用者の方もここが自分の居場所だと思うし、受け入れられているという実感を得られる。学校や訓練所のように規範を教えてもらう場ではなく、自分が自分でいられて、何をしたいのか、何を目指したいのかをゆっくりと考えられる場なのだ。それこそが、彼らが求めているものなのだろう。

現在、ブリッジフォースマイルは、横浜を含めて全部で6カ所で、似たような事業を展開している。その需要は高く、他の行政からも声がかかり、今後は別の地域でもここで培ったノウハウを活かした居場所を広げていくという。

藤好氏は話す。

「日本では、施設で育った子に対する奨学金など公的支援の制度は昔より整いつつあります。ただ、制度が整っていれば、解決するかと言えば、そうではありません。少なくとも、私たちのところに来てくれる人たちは、制度だけでは何かが足りない、ありのままの自分で普通に話がしたい、時には相談もしたい、だから、ここに来てくれているんだと思います。制度はあるけれど、なにが足りていないのかということを、私たちは社会の問題として考えていかなければならないのではないでしょうか」

社会の中で制度が整えば整うほど、人は「制度があるんだから問題はないでしょ」と考え、そのことから距離を置きがちだ。

だが、困難を抱える若者が社会の荒波を生きていくには、奨学金のような見えやすい支援だけでは不十分だ。週末にふらっと立ち寄って楽しめる家庭料理、買い物や料理をする中で身につける小さな知識、食後の談笑の中で得られる安心感。公的支援ではフォローしきれない、そうした小さな日常があって初めて、人は自分の足で前に進んでいけるようになるという側面もあるのだ。

「B4S PORT よこはま」が行っているのは、そんな取り組みなのだろう。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』『少子化に打ち勝った保育園─熊本「やまなみこども園」で起きた奇跡─』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)、『傷つけ合う子どもたち』(CEメディアハウス)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。最新刊に『「ことばで伝える」ができない子どもたち 誰が〈ことばの力〉を育てるのか』(日本実業出版社)。

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