共生へ――現代に伝える神道のこころ(16) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)

白木・黒漆・金箔(きんぱく)・極彩色・錺(かざり)金具で彩られる豪華絢爛(けんらん)な日光東照宮の国宝「陽明門」。日本で最も美しい門と称され、いつまで見ていても飽きないことから「日暮(ひぐらし)の門」とも呼ばれる

動植物の彫刻を施し精神世界を伝え 時代とともに発展を遂げた社寺建築

以前の連載(第9回)にて吉備津神社(岡山県)と中山法華経寺(千葉県)を例に、神社と寺院に見られる建築様式の相似性を取り上げ、建築の中に見える神仏の共生について述べた。神社の社殿については、細部の彫刻や意匠に関して興味深い点もあるため、今回は社殿の梁(はり)や柱などに刻まれた彫刻など、神社建築の特徴について述べたい。

仏教の建築様式が伝来する前の神社建築の様式とされる神明造(しんめいづくり)、大社造、住吉造といった社殿は、切妻屋根の妻を飾る彫刻がなく、屋根の垂木や隅木、梁の重みを支える組み物である肘木や三ツ斗組などの斗栱(ときょう。柱の上に置かれ、軒の垂木や隅木を十分に張り出させて強度を保持しつつ、屋根の反りや長さを確保して屋根をよりきれいに見せるために置かれるもの)にも装飾性がほとんどないため、極めてシンプルである。また、仏教の影響を強く受けた権現造が登場する以前の、室町時代後期から戦国時代までの神社建築の細部意匠についても、おおよそ横柱と横柱をつなぐ主要な構造材の頭貫(かしらぬき)の先端(柱頭=ちゅうとう=にあたる木鼻=きばな)や、虹梁(こうりょう)に入れられる蟇股(かえるまた)などに部分的な彫刻が見られるものの派手さはない。斗栱など屋根を支える組み物も含め、安土桃山時代以前に建てられた社殿の多くは簡素で素朴なものが多い。

これに対して寺院建築は、東大寺の大仏殿や南大門などに象徴されるように、多くの建物が反りのある大屋根を支える構造になっており、軒先にかかる屋根の重みを支える組み物の数が神社建築に比べて格段に多い。奈良時代までは軒先の垂木などの重みを支えるため、肘木の上に斗(ます)を乗せた出組みと呼ばれる組み物については、斗栱の形式の一つである「三手先(みてさき)」(長くのびた屋根を支えるため、小斗と肘木を三度重ね合わせて斗が前へと張り出したもの)が主であった。密教が伝来した平安時代になると、密教寺院では屋根に反りのある大塔や丸い屋根の多宝塔などが多く造られるようになり、三手先では多宝塔の上層の大屋根の重みを支える強度を維持できないため、四手先(よてさき)から七手先程度の斗栱へと発展する。対照的に大方の神社建築では出三斗(いでみつど)や三手先までの社殿は見られるが、五手先以上となる斗栱を持つ社殿はほとんど見られない。

特に中国地方では、戦国時代に山名氏や尼子氏、毛利氏、宇喜多氏などの武将が覇権を争って戦いを繰り広げた地域だったこともあって、戦乱のたびに社寺の建物に農民や僧兵などが立てこもって抵抗し、敵方の武士らが社殿に火を放って建物が焼失することも少なくなかった。戦いが終わった後に領主となった戦国大名が社寺の社殿を再建奉納するケースもあり、中には、岡山県の中山神社のように本殿の焼失以前とは全く建築様式の異なる中山造と呼ばれる三間四方(さんけんしほう)の豪壮な社殿が再建された事例もある。

一方、社寺の建築彫刻については、安土桃山時代以降に大発達を遂げたとされる(近藤豊著『古建築の細部意匠』、大河出版)。近世になると江戸幕府が成立したこともあり、安定した社会情勢を背景に華麗で精巧な彫刻がなされ、豊かな装飾性を持った社殿の建立が増加。特に元和・寛永から元禄時代にかけては、傑出した秀作、佳作とも称される彫刻に特徴が見られるようになり、建物全体を覆うように華やかな彫刻や色彩豊かな着色が神社の社殿にも多用されるようになった。彫刻技術自体はその後も発展するが、江戸時代末期にかけて社殿の縁まわりにあたる腰組の部分の柱に龍が巻き付いたようなものや、締まりのない唐草模様など、時代が下るにつれて、手が込み過ぎた彫刻や意匠が増加した。

神社社殿の細部意匠、装飾や彫刻の中で、美の極みに位置すると考えられているのが日光東照宮(栃木県)である。近年、大規模な社殿や装飾の修復工事を行ったことでも知られる同宮であるが、おびただしい動植物の彫刻で飾られた建造物の中には、著名な彫刻師・左甚五郎作の眠り猫などがある。神馬(しんめ)をつなぐ神厩(しんきゅう)の長押(なげし)に彫られた「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿なども著名だ。この彫刻は、猿は馬を守護すると信じられていた当時の民俗伝承を基に彫られたものである。神厩には、この三猿を含む形で八面にわたって、人の一生になぞらえた十六匹の猿の彫刻が見られる。

陽明門の左右に延びる廻廊(かいろう)の外壁には、日本最大級の花鳥の彫刻が飾られている

また、水を掌(つかさど)る霊獣である龍などが虹梁や木鼻に彫られるのは、神仏が習合するようになって以降、拝殿内で祈禱(きとう)のために護摩などを焚(た)いて火を使うこともあったため、建物が火災に遭わぬようにという意味も含まれている。

さらに、社殿の入り口にあたる神門や楼門(ろうもん)の木鼻に象や唐獅子が彫られるのは、狛犬(こまいぬ)などと同様に、境内を守護するための意味があるとされる。

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