DJボウズの音楽語り(6) 文・戸松義晴(浄土宗心光院住職)

画・花本彰

We Are The Children

アナログレコードの紹介に戻って、前回に引き続きハワイの曲を紹介します。今回は単純にハワイアンで一押しのレコードです。

大学1年生(1972年)の時に、慶應大学に現役で入った高校の友達と、大学入学の「ご褒美だ!」と言って、ハワイ大学で英語を学ぶサマースクールに参加しました。バイト代を一生懸命貯(た)めて、ハワイに行った時に買ったのがカントリー・コンフォートのアルバム「We Are The Children」。当時はハワイでしか売っていなかったと思います。

戸松氏がハワイで入手したレコード「We Are The Children」

ハワイでは音楽がとても身近な存在です。音楽を生で聴きたいと思った時に、コンサートに行かずとも、ありとあらゆる場所で生演奏を聴くことができました。そんなちゃんとしたセットじゃなく、ギターと簡単な楽器に合わせて歌うというのが普通でした。

友達とコンドミニアムみたいなところを借りて、自炊をしながら、時々、外食をして音楽を聴きに行っていました。そんな時に出会ったのが、このアルバムにある「Sun Lite, Moon Lite」です。カントリー・コンフォートがレストランのラウンジで演奏しているのを聴いて、「いいな」と感じました。その後、レコード店に入ったら、その時に見た男性たちがジャケットになっているレコードが店頭に並んでいたので買いました。

日頃から在日米軍向けのラジオを聴いていた私は、さまざまなアメリカの音楽を知り、アメリカ西海岸のロックにも憧れがありました。カントリー・コンフォートは、アコースティックだけど、ちょっと西海岸風のロックの香りもしつつ、伝統的なハワイのコーラスも踏まえて、しゃれた感じの曲です。彼らは全員、いつもビーチサンダルを履いているグループなんですよ。

私が初めてハワイに行ったのは、高校1年生の時。前回お話ししたマウイ島に、戦前に移住した母方の親戚に会いに行きました。

ハワイには、19世紀末から20世紀前半にかけて、約20万の日本人が渡っています。サトウキビのプランテーション農業がハワイの主幹産業として盛んな時代で、海外から多くの労働者を招き入れていました。しかし、その労働状況は劣悪で、労働者が受け取る賃金は少なく、長時間労働の上に、農場主や現場監督から鞭(ムチ)で打たれることもあったようです。

その後、ハワイに住み続けた日系人は、戦争によってさらに苦しい思いをします。1941年、ハワイ近海に停泊していたアメリカ海軍の太平洋艦隊に対し日本軍による真珠湾攻撃が行われ、太平洋戦争の幕が切って落とされました。日系人には日本軍に協力するスパイという強い疑いのまなざしが向けられ、敵国人として差別や弾圧を受けました。当時、アメリカ西海岸ではほとんどの日系人が強制収容所に送られました。ハワイでは、島の全人口の4割ほどを日系人が占めており、労働力不足による経済的機能のまひが懸念され、全ての人を収容するということはありませんでしたが、日本語学校の教師や僧侶、新聞記者など日系人社会のリーダーと目された人の多くは収容されました。残った人も家宅捜索を恐れ、家の中にあった天皇の写真や神棚、日本語の本など“敵国日本”を連想させるあらゆるものは隠す、または処分しました。

母方の親戚がいる山口県は、日本からハワイに出稼ぎに行った労働者が多い地域の一つです。祖母の兄弟姉妹や親戚もプランテーションで働くために、ハワイに行き、永住しました。私が行った時に会った大おばは、強制収容された一人です。矍鑠(かくしゃく)としている人で、家の中には天皇の写真が飾られていて、昔の日本を感じたことを覚えています。

大おばはもともと教育熱心ではありましたが、強制収容によって財産は全て奪われ、収容所から出た後も、その財産は戻ってこなかったことから、誰にも奪うことのできない「教育」を大切にしていました。

そんなこんなで、ハワイには人生でこれまでに30回以上訪れています。なぜかというと、ハワイがとても好きなんです。

ラジオも魅力の一つで、音楽のチャンネルがいろいろあって、一日中音楽が流れています。ソウルミュージック、ロック、ハワイアンのほか、日本の歌謡曲もありました。日本みたいにコマーシャルがあったり、変なDJがしゃべり続けたりして、あまり曲が流れないというのではなく、ずっと音楽を流し続けているんです。

そして、ハワイならではの空間。ゆったりと時が流れているようで、自然豊かで、海がきれいでとても和みます。ハワイの音楽はそんな情景を呼び起こしてくれます。

♪ 今回のおすすめ視聴
「We Are The Children」
https://mf.awa.fm/3RLft8E

プロフィル

とまつ・よしはる 1953年、東京都生まれ。慶應義塾大学、大正大学大学院を経て、ハーバード大学神学校で神学修士号取得。現在、浄土宗心光院住職、世界宗教者平和会議(WCRP/RfP)日本委員会理事長、浄土宗総合研究所副所長、国際医療福祉大学特任教授を担っている。全日本仏教会理事長、日本宗教連盟理事長などを歴任。趣味は音楽鑑賞(ソウルミュージック)