バチカンから見た世界(116) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

貧者の希望を組織化しよう――教皇と世界人民運動

11月14日は、カトリック教会が定める「世界貧者の日」だ。ローマ教皇フランシスコが制定し、施行されている。今年で第5回を迎えた。

バチカンで執り行われた貧者の日のミサにおいて教皇は、次のように説教した。「私たちは、希望するだけでなく、希望を(形にするために)“組織化”しなければならない。私たちの希望が注意、正義、連帯、共通の家(自然・地球環境)の保全といった、具体的な選択や行いに還元されなければ、貧者たちの苦しみは軽減されない。彼らを社会の片隅で生活するように強いる切り捨ての経済が変革されなければ、彼らの願いがかなうことはない。私たち、特にキリスト教徒は、希望を組織化――つまり、毎日の生活、人間関係、社会、政治活動において(希望を)具現化していかなければならない」。

また、教皇はこれに先立つ10月16日、オンライン形式で開催された「人民運動第4回世界大会」に宛てたビデオメッセージの中で、「世界は、僻地(=へきち、社会の底辺、片隅)から、より明確に観察できる。僻地からの声に耳を傾け、僻地に住む人々に門戸を開き、彼らの(社会、政治)参加を認めなければならない。世界の苦しみは、苦しむ人々と共に苦しむことによって、より良く理解することができる」と述べていた。僻地で苦しむ人々とは、「自身の肉体を通して、不正義、不平等、権力の乱用、困窮、差別を体験してきた人々」を指しており、「決定が下される、あらゆる(政治などの)場において、彼らの声に耳を傾けられることが重要」と唱えていた。

世界的な気候変動や新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)が、僻地で生きていた貧者の暮らしをより絶望的なものにし、さらに何とか人並みの生活を送っていた人々の多くを僻地へと転落させた。悲痛な思いを声にして叫んでも、政治家たちに自分たちの声を聞いてもらえない貧者や、そのために沈黙する大多数の人々(silent majority)が、自分たちの置かれた状況を改善していくために、教皇は彼らの声を代表して民主主義の改革を訴えているのだ。

教皇は、切り捨てや排除の論理に支配される社会において、希望を創造していく能力と勇気を持つ世界人民運動に携わる人々を、「社会詩人」と呼ぶ。彼らは、「排除や不平等、使い捨てや無関心が続く未来、また、特権の文化が可視化されないまま、消却できない権力となり、搾取や乱用が生存の常套(じょうとう)手段となっている」状況に対し、「希望のアナウンス」をしていると評している。

世界人民運動の第3回世界大会から6年の歳月が流れたが、この間に、「後戻りのできない時、変革の時、人類が選択を迫られる時が到来」し、世界において「環境破壊と民族虐殺」(ecocide&genocide)とも呼べる状況が発生したとする。パンデミックが「社会的不平等」を明確にし、当たり前のことと考えられていた社会保障の多くがなされずに、「紙で作られた楼閣のように崩れた」。さらに、感染防止対策の一環として行われた「隔離」が、僻地で生きる「あなたたちに対して最悪の効果をもたらした」と教皇は指摘する。なぜなら、「あなたたちの日常生活の場(家)」は、居住区の屋外であり、安全が保たれる場所ではなかったたからだ。また、「移民や、身分証明書を持たない人々、固定所得のない不安定な労働者たちが、その日の仕事もなく、政府からの援助も受けられず、極貧生活を強いられた」状況でもあるからだ。しかし、厳しい状況を強いられる人々がいるにもかかわらず、「無関心の文化」が蔓延(まんえん)する世界においては、「彼らが巨大メディアやオピニオンリーダーたちの関心の対象にはならない」と問題の大きさを訴える。

教皇は、人民運動第4回世界大会の参加者たちに、「沈黙のうちに進行するパンデミック」についても警鐘を鳴らした。隔離生活によって、オンライン活動への過度な依存、自己喪失、未来へ向けての展望の欠如などに陥る子供や青年があらゆる階層・階級で増えており、ストレスや恒常的不安に襲われて苦しんでいる若者の増加を指してのことだ。この実存的不安感は、「他者とじかに対面して関係をつくれない、愛の回復を示すバロメーターである友情の土壌となる友達との直接的なコンタクトを持てない」状況に由来している。この点に触れて教皇は、技術の進歩は善き手段となるかもしれないとしつつも、「私たちの間におけるコンタクトを代行することはできない」とし、「私たちが根を張り、私たちの生活を肥沃(ひよく)なものにする共同体に置き換えられることはない」として人間的触れ合いの重要性を訴えている。