ミンダナオに吹く風(1) 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)

天から落ちてくるように浮かんだ思い

フィリピン・ミンダナオ島にミンダナオ子ども図書館を2003年に立ちあげてから10年以上、訪問者を受け入れなかった最大の理由は、図書館のある北コタバト州が、日本政府の指定する高度な危険地域に属しているからだ。自分のことならまだしも、訪問者に、もしものことがあったらと考えると、とても面倒を見切れないと考えたからでもある。

ミンダナオでときどき戦闘が起こることは、現地で耳にはしていたものの、まさか、自分の生涯のなかで、戦闘場面を見るなどとは想像もしていなかった。

ぼくが、ミンダナオで初めて戦争を見たのは2001年のことだった。「この先のイスラーム地域で戦争が起こって大変なことになっている、助けに行かなくっちゃ!」という、バリエス司教の言葉に誘われて、物見遊山の気持ちでついて行っただけだった。

しかし、東南アジア最大の湿原と呼ばれているリグアサン湿原に流れこむ、プランギ河を渡ったとたん、道路脇から空き地のいたるところに戦争避難民が生活していた。

「バリカタン」と呼ばれるフィリピン政府軍とアメリカ軍の合同演習という名の実戦が2000年に起きて、その当時の戦争避難民の数は100万人。その後、避難民が家に戻る間もなく、2003年には、アメリカのブッシュ政権主導による「テロリスト掃討作戦」で、空爆も行われ、犠牲者は10万人、避難民の数は120万人を超えた。道路脇から、まわりの畑、そして広大な空き地や草原にいたるまで、見わたすかぎり避難民で埋めつくされている現場を見て、驚きと同時に心をえぐられるような強いショックが体をかけめぐった。

避難民のキャンプというから、行政や支援団体によるテントで生活しているのだとばかり思っていたが、地面にヤシの葉をならべ、雨よけの屋根も、良くてビニールシート、ほとんどの人々が、とってきた枝を建てた上にヤシの葉をふいて生活している。

その後、戦闘が起こり、避難民が出るたびに、ミンダナオ子ども図書館では、若者たちとビニールシートや食料、医療の救済支援をし続けてきた。大きな戦争は、その後も数年おきに起こった。

長いときは数年にわたる避難生活のなかで、とりわけ心を痛めたのは、子どもたちの姿だった。トラウマのせいで、手を振っても子どもたちは放心状態のままだ。そんな笑顔を失っている哀れな子たちを見て、フッと天から落ちてくるようにある思いが心に浮かんだ――ここで絵本の読み語りをしてあげたら元気が出てくるのではないか、と。

プロフィル

まつい・とも 1953年、東京都生まれ。児童文学者。2003年、フィリピン・ミンダナオ島で、NGO「ミンダナオ子ども図書館」(MCL)を設立。読み語りの活動を中心に、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与などを行っている。第3回自由都市・堺 平和貢献賞「奨励賞」を受賞。ミンダナオに関する著書に『手をつなごうよ』(彩流社)、『サンパギータのくびかざり』(今人舎)などがある。