バチカンから見た世界(86) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

マドリード大学医学部出身のアルペ神父は、1940年に日本に派遣され、1945年8月6日に広島に原爆が投下された時、自身が院長を務めていたイエズス会長束修練院(広島市)を約200人の被爆者たちのために開放し、医師として彼らの治療に当たった。アルペ神父は生前、当時のことを「歴史を度外視して永遠に私の記憶に刻まれた体験」と表した。原爆の生み出す、地獄絵を見たからだ。アルペ神父は1965年、イエズス会第28代総長に選出され、1983年までその任を務めた。彼の業績は「第二バチカン公会議の精神に沿ってイエズス会を再建した」と高く評価される。

教皇フランシスコは11月7日、アルペ神父が創設した「イエズス会社会正義と環境問題事務局」(50年前に創設)のメンバ-たちと謁見し、「イエズス会は、その創設当時から貧者への奉仕を使命としてきた」と前置きし、「この創設者、聖イグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)の精神は、今も生きており、アルペ神父によって強化されてきた」と述べた。アルペ神父の確信の根底には「人間の苦に接した体験」があったからだ、と見る南米出身の現教皇。神父が残した、「私は、見捨てられた生活の中で苦しみ、泣き、彷徨う人々の内に、神をどんなに近く見いだしたことか」との文書を引用している。

カトリック教会内では現在、アルペ神父の列福調査が進められている。創設者とアルペ神父の揺るぎなき確信を継承するイエズス会は、「世界の各大陸において、私たちが寄り添う諸国民の叫び声に耳を傾け、あらゆる状況の中で発生してくる挑戦に対処し、多くの不正義の原因を、より明らかにすることによって、それを克服していくための効果的な解決策を模索していかなければならない」と教皇は唱える。「人身売買、(外国人への恐怖によって)急増する異なる人種への差別的状況、国家利益優先のエゴの追求、諸国家間と国内における不平等」と「より貧しい人々を最も苦しめる環境破壊」に加え、「不正義と人間の苦を増長し、断片的に戦いが始まっている第三次世界大戦」といった状況に対し、新しい「文化の革命」を起こすことによって応えていかなければならないとも訴えている。

11月11日、バチカンで「包括的な資本主義のための評議会」のメンバーが教皇に謁見した。「包括的な資本主義」とは、多くの弱者を生み出す従来の資本主義に変わり、投資家に利益をもたらしつつも、貧しい人たちにも富を分けて力を与えていく新たな資本主義のことだ。世界に蔓延(まんえん)する不正義を克服していくために、「誰も後に残さず、私たちの兄弟姉妹の誰一人も見捨てることのない包括的な資本主義」を評価する教皇は、「倫理的な側面を考慮しない経済システムは、より正しい社会秩序の構築へと導かず、消費主義と排除の象徴である(人間をも含む)“使い捨て”の文化へと誘(いざな)う」と非難する。教皇は、来年3月26日から28日まで、世界各国から青年世代の経済人や実業家を聖都アッシジに招聘し、『フランシスコの経済』と題した国際会議を開くことを、すでに公表している。

長崎と広島を訪問する教皇フランシスコは、被爆地から「核兵器は非倫理的」として、その開発、実験、保有、利用を止めるよう訴え、廃絶に向けたメッセージを発信するに違いない。その際、大量破壊兵器の犠牲者は、被爆後の長崎で亡き弟を背負い、火葬の順番を待つ「焼き場に立つ少年」(米国の従軍カメラマンが撮影したモノクロ写真)に代表される無辜(むこ)の市民、それも、より弱い子供や老人、女性であるという視点を忘れることは決してないだろう。バチカンは、人間と人間の全体的発展を目的とし、綿密な安全保障システム、技術者の適切な養成、原子力施設の点検などを条件とする、核エネルギーの平和開発・利用を「注意深く検討する」立場をとっているが、そうした目的と安全保障が十分に実行されなかった場合、犠牲となるのは何の罪もない無防備な一般市民であるとの見解は変えないだろう。

教皇フランシスコは11月17日、バチカンで第3回「貧しい人のための世界祈願日」を執り行い、「貧しい人々が私たちを天国に近づける。彼らの声に耳を傾けよう」とアピールし、その2日後、タイと日本訪問に向けて出発した。