切り絵歳時記 ~柳田國男『先祖の話』から~ 3月 最終回 文/切り絵 ルポライター・切り絵画家 高橋繁行

人は死ねば子孫の供養や祀(まつ)りをうけて祖霊へと昇華し、山々から家の繁栄を見守り、盆や正月に交流する――柳田國男は膨大な民俗伝承の研究をもとに日本人の霊魂観や死生観を見いだした。戦時下で書かれた柳田國男の名著『先祖の話』をひもときながら、切り絵を使って日本古来の歳時記を絵解きしたい。
春分の日の、先祖の迎え・送り火
春分の日は、太陽が真東から昇って真西に沈み、昼と夜の長さがほぼ同じになる。秋分の日も同様だ。今年の春分の日は三月二十日。『先祖の話』には、春分・秋分の両日は「古くは『時正(じしょう)』とも呼ばれた」とある。春分・秋分の頃(時正を中日にした前後七日間)に、「誰のということもなく一家の墓所を拝みに行く」ことを「彼岸会(ひがんえ)の日」とした。
この日は、お墓参りや寺院での合同法要が行われ、此岸(しがん=この世)から彼岸(極楽浄土)へ思いを馳(は)せ、故人をしのび感謝する大切な節日とされた。
柳田國男は、彼岸会の風習は、仏教が広まる以前から存在したとしている。時正は、先祖の還(かえ)って来る日。秋田県北部の農村を例に挙げ、「彼(かの)地方では春の彼岸の日に、盆とよく似た迎え送りの火を焚(た)いているが、もとは日本の今一段と広い区域にわたって、この日を重要な節日としていたらしい痕跡はある」と示した。
春の彼岸の迎え火
盆と同様、春の彼岸に先祖が還って来ると認識していた人々は、「先祖祭」として火を焚いて霊を迎え、そして送っていたのである。どうして一族を挙げて先祖祭を営む必要があったのだろうか。
『先祖の話』では、「家で先祖の霊を一人一人、その何十年目かの年忌毎に祀るということは、いかにも鄭重(ていちょう)なように見えて、その実は行き届かぬことであった」と述べている。
例えば、その家に生まれても短い生涯の主人などは時々は無視せられることがあったようだ。
同書は「ましてや子も無く分家もせぬうちに、世を去った兄弟のごときは、どんなに働いて家のためまた国のために尽くしていても、大抵はいわゆる無縁様(むえんさま)になってしまうのであった」と述べ、以前の日本人の先祖に対する考え方は、差別待遇はせずに、人は亡くなってある年限を過ぎると、「一つの尊い霊体に、融け込んでしまうものとしていた」と説く。
生前、どんな凡人であっても、亡くなると神仏として敬われた。彼岸会より古い歴史が先祖祭の伝統にあるゆえんである。 (了)
プロフィル

たかはし・しげゆき 1954年、京都府生まれ。ルポライター・切り絵画家。『土葬の村』(講談社現代新書)、『お葬式の言葉と風習 柳田國男「葬送習俗語彙」の絵解き事典』(創元社)、『死を笑う 落語ととむらい』(創元社)など、死と弔い関連の著書を手がける。高橋葬祭研究所主宰。





