バチカンから見た世界(72) 文・宮平宏(本紙バチカン支局長)

人間復興につながる経済を望むローマ教皇

11月18日、カトリック教会の「第2回貧しい人のための世界祈願日」を迎え、バチカンでは聖ペトロ大聖堂でミサが執り行われた。

「貧しい人のための世界祈願日」は昨年、ローマ教皇フランシスコが、助けを必要とする人々との出会い・友情・連帯・支援の機会となることを願って制定し、毎年、典礼暦・年間第33主日が充てられる。貧しい人のためにすべきことを考え、それぞれが行動を起こす――「実践」に重きが置かれていることが特徴だ。

バチカンでのミサの説教において教皇は、「少数の経済的に肥満した人々が、正義に基づいて全ての人々に分配されるべき富を自分のものとし、宴会を開いている」と述べ、現在の世界経済のあり方に警鐘を鳴らした。また、「不正義こそが貧困の根だ」とし、「貧しい人たちのうめき声が日増しに強くなっているのに、日ごとに耳を傾けられなくなっている。うめき声は、富を手にする少数の富裕者が起こす騒音にかき消されている」と指摘した。

こうした世界経済のひずみの大きな原因の一つが、人間の存在を忘れて、金融という“偶像”を崇拝するようになった経済制度にあると、教皇は批判する(本連載69回を参照)。人間の労働の大切さと実体経済が切り離され、現在の経済が金融という利益優先のマネーゲームを追求するようになり、労働を通した人間の尊厳や社会への貢献といった面が忘れられているからだ。経済活動の起源と目的は、あくまでも人間が主眼であり、金であってはならないとの考えだ。

イタリアの有力経済紙「イル・ソーレ・24オーレ」(9月7日付)には教皇のインタビュー記事が掲載されている。この中で教皇は、「早く行きたいなら一人で、遠くへ行きたいならみんなで行け」というアフリカの格言を、経済のあり方に当てはめて問うた記者の質問に対し、「個人としては優れているかもしれないが、経済成長は常に、共同体の善(共通善)に対する個々人の努力の結果である」と回答。個人の能力は共同体のより良い環境を抜きにしては発揮されることはないとし、「得られた結果が単なる個人の能力の集合体ではないということからも、それは理解できる」と語った。