ミンダナオに吹く風(15) 遠く離れたマラウィの戦争 写真・文 松居友(ミンダナオ子ども図書館代表)

遠く離れたマラウィの戦争

奨学生たちが暮らす私たちの「ミンダナオ子ども図書館」はフィリピン・ミンダナオ島の中央に位置するアポ山麓の町キダパワンにあり、そこからマラウィ市までは、支援物資を積んだトラックだと13時間もかかる。ミンダナオ子ども図書館を出発して縦断し、北の海辺の町カガヤンデオロを通ってさらに走って内陸に向かい、イリガンを抜けてようやくたどり着く。マラウィは湖畔の街だ。

2001年から17年間、繰り返し戦争避難民を救済してきたリグアサン湿原地帯は、ミンダナオ子ども図書館から車で1時間半ぐらいだったから、戦闘が起こるたびに、すぐに若者たちやスタッフと一緒に駆けつけられた。それに比べるとマラウィは、はるかに遠い。

私たちの支援は、一時的なものではなく、戦闘が収まって避難民たちが集落に帰った後から、活動が本格的になる。絵本の読み語りのために訪れたり、戦争孤児を奨学生に採用して学用品を届けたり、病気の子がいれば病院に連れて行き手術を受けさせたり、場所によっては保育所や学校を建設したりして、戦争後も関係を持ち続けている。平和構築は、一朝一夕にできるものではない。いったん関係を持った地域の人々とは、「ヒナイヒナイ バスタ カヌナイ(ゆっくりゆっくり、でも、絶えることなく)」と、お付き合いを続けていくことが大切なのだ。

そのようなわけで、最初にマラウィで戦争が起こっているという話を聞いたときは、活動地域としては、<ちょっと遠くて無理かな>と思った。しかもマラウィは、大きなモスクやカテドラル(大聖堂)や大学もある立派な町で、空爆で破壊されたとしても、経済的にはゆとりのある人々が集まるだろうし、「イスラーム国」の影響もあり、これだけマスコミで取り上げられれば、外国からの支援も行き届いているに違いない。小さなNGOに過ぎないミンダナオ子ども図書館が、行く必要もないだろうとも思っていた。今回、マラウィの市長秘書の方からイスラームNGOを通して、妻のエープリルリンに、救済支援の要請がなかったら、恐らく行かなかっただろう。

戦闘によって破壊されたマラウィの街

しかし、思い切って現地に行き、空爆と砲撃でとことん破壊されつくした街並みや、帰ることの不可能な避難民キャンプの家族の姿、そして疲弊した子どもたち、とりわけ父親や母親がいなくなって孤児になってしまった子たちが、目の前で泣き出す姿を見ると、来る前まで抱いていた安易な気持ちは吹き飛んでしまった。

私たちの前に立ったまま、ベールで目をおおい、「お父さんもいないし、お母さんも海外に出稼ぎに行ってしまうし、私も学校を諦めて、マニラに仕事を探しに行く以外にないの」と、言って泣いている少女に出会った時もそうだった。テントが張り巡らされた別の避難民キャンプで「警察官だった僕のお父さんは、殺された」と言って、目の前で顔をおおって泣き崩れる少年などを見てしまったときも同様、もはや引くに引けない気持ちになった。

「何とかして、この子を救いたい、この子の夢や希望を叶(かな)えてあげたい、そのためには、どうしたらいいのだろう」。そう考えたときには、思いが募って、もう動き始めている。

プロフィル

まつい・とも 1953年、東京都生まれ。児童文学者。2003年、フィリピン・ミンダナオ島で、NGO「ミンダナオ子ども図書館」(MCL)を設立。読み語りの活動を中心に、小学校や保育所建設、医療支援、奨学金の付与などを行っている。第3回自由都市・堺 平和貢献賞「奨励賞」を受賞。ミンダナオに関する著書に『手をつなごうよ』(彩流社)、『サンパギータのくびかざり』(今人舎)などがある。近著は『サダムとせかいいち大きなワニ』(今人舎)。