気づきを楽しむ――タイの大地で深呼吸(10) 文 浦崎雅代(翻訳家)
タンマヤートラ――行進でも、デモでもなく、気づきと共に歩く
8日間で約100キロ――タイの田舎道を歩くイベントが12月に行われる。年々参加者が増え、今年も300人は下らないだろう。僧侶も一般の人も共に歩くのだが、何かを訴えるための行進(パレード)やデモではない。速さも距離も競わず、我慢比べでもない。シュプレヒコールを上げたり、何かを叫んだりして歩くのではなく、ただ静かに自分のペースで歩く。その名は「タンマヤートラ」。タンマは法、ヤートラは巡礼を意味するので「法の巡礼」と訳す。「みんなで歩く瞑想(めいそう)」もしくは「タイ版お遍路さん」とでも紹介できるだろうか。
今年で18回目。森の寺と呼ばれるスカトー寺前住職の故カムキエン・スワンノー師によって提唱され、自然環境の大切さを地元の村人たちに気づいてほしいという願いのもとに始められた。私は結婚前に一度参加したのだが、かつて味わったことのない学び多きイベントだった。
趣旨や運営、スタッフの熱意も素晴らしい。しかし、最も感嘆したのは皆の歩く様子だった。淡々と、ただただ歩く。無駄なおしゃべりはなし。声を掛け合って「頑張ろう!」「頑張ってねー!」といった応援もなし。しかし他者を無視しているわけではない。互いに程よい心配りはあれど、メーンとなるのは自分の一歩一歩だ。
この一歩を、確かに歩く。
簡単そうだが、これがなかなか難しい。すぐに「暑い~! あと残り何キロかな。早く着かないかな。次の休憩はいつだろう?」など、思考が勝手に巻き起こる。思考に気づいたら、ハッとまた次の一歩に意識を戻す。一歩一歩が瞑想だ。日々実践しているつもりだけれど、暑い中を歩くので、思考はさらに生じやすくなる。
距離も長く、体の疲れも足の痛みも生じる。しかしそれは、体に苦しみが生じても、心まで苦しませない気づきを高めるチャンスでもある。自分と対話しながら歩く、のとも違う。対話ではない。ただただ気づくだけなのだ。しかし、不思議なことに、自分に必要な学びが訪れる。
その時の私は、皆が沈黙しながら歩いているのに、すごく守られているように感じていた。言葉による励ましではなく、一人ひとりがしっかり歩いている姿がすでに励みとなることを知った。ちゃんと一人にさせてくれる。だが、何かあればすぐ助け合える信頼感。この絶妙な距離感が何とも居心地よく、気づけば一歩一歩を確かに歩いていた。
今年、夫と3歳になる息子と初めて歩く。人生を共に歩んでいる仲間とのタンマヤートラ。どんな8日間になるのか、今から、とても楽しみ。
プロフィル
うらさき・まさよ 翻訳家。1972年、沖縄県生まれ。東京工業大学大学院博士課程修了。大学在学中からタイ仏教や開発僧について研究し、その後タイのチュラロンコン大学に留学した。現在はタイ東北部ナコンラーチャシーマー県でタイ人の夫と息子の3人で生活している。note(https://note.mu/urasakimasayo)にて毎朝タイ仏教の説法を翻訳し発信している。