栄福の時代を目指して(24) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

デジタル署名における信託と代表――救国の可能性はいずこに?
署名運動を起点として、そのための政治的フロンティアを提案してみよう。署名運動は人々の政治的意思の表現になるという点で直接民主主義的な運動だが、その中から間接的民主主義、つまり代表制民主主義と接続して、新しい民主主義の形態が生じるというアイデアが閃(ひらめ)いた。
デジタル民主主義論では、ネット投票や争点ごとの直接投票などが論じられてきた。しかしデジタル署名運動に関わることによって、それらとは別の可能性に気づいたのである。
たとえば、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長に対する制裁に対する反対声明は、9月上旬には14万筆にも達している。そして赤根所長自身が、インタビューで署名の広がりに勇気づけられたと述べている。「これまでデジタル署名には効果に疑いを持っていたが、その報道を見て、確かに現実的に働きかける力があると感じ署名した」という感想をSNSで読んだ。これは、デジタル署名の実効的な力を感じさせる。
数万の署名が集まると、その信頼に対して最善を尽くして応えなければならないという気持ちが湧いてくる。政治家たちが「これだけの票をいただいた」と謝意を示し、その信託に応えようと語るのを何度もテレビで聞いてきたが、署名運動に関わって初めて、その気持ちが少し実感としてわかった気がする。
ここから考えるに、通常の議会制民主主義における、投票者の信託と政治家の行動との関係に似たものが、デジタル署名運動にも成り立ち得る。署名者の信託に応えて、発起人や呼びかけ人が行動して、署名者の意思を外部に伝えようとするわけである。
通常の署名においては、当初の呼びかけ文に限定した活動しか行わないことが多いだろう。政府に対する署名ならば、その主たる活動は、署名文を届けることになるが、これだけなら代理である。これに対して、署名の理念と目的の範囲内で新しい状況を解釈して行動するなら代表の働きが生まれる。
「生活と平和を守るために――イランとの友好的外交による船舶通過の実現を求めます」署名(以下、「生活と平和」提言ないし署名と略)の場合では、赤根所長への制裁は、署名を開始した5月には生じていなかった。当然、当初の声明文には言及がない。しかし、戦争が生じたのは両国の国際法違反から始まっているのだから、国際法の尊重が声明文の中に存在している。だからこそ、国光あやの前外務副大臣に対して、声明文を手交するとともに、国際法の尊重や、日本人が所長として活躍しているICCをはじめとする国際司法機関の擁護を要請したわけだ(7月30日)。
その19日後に生じた赤根所長への制裁は、国際法の効力を失わせようという行為そのものだ。従って、当初の声明と、赤根所長への制裁反対との間には密接な論理的関係がある。だからこそ、「生活と平和のための提言」発起人一同では、制裁に反対し、日本政府がアメリカに撤回を要求することを求める緊急声明を出した。ただ、この声明においては、署名者に改めて意思を聞く時間的余裕はない。そこで、「発起人一同」という主体として緊急声明を出して、外務省や、ICC・赤根所長に送付したのである。
署名運動におけるデジタル代表の生成
この関係は、議会における代表の論理と同じだ。政治学でいう「代表」は、単に人々の代わりにそこにいることではない。人々の利益や意思を考えながら、そのために行動することに重要な意味がある*。議会制民主主義において、政治家や政党が公約や理念を掲げて有権者は投票するが、当選後の政治家や政党の行動を予(あらかじ)め有権者が全て知っているわけではない。政治家や政党は公約や理念に即して行動することが理念や規範となるが、選挙後のさまざまな事態に対して行動する際には一々投票者に可否を聞くことはできない。有権者は政治家や政党を信頼して投票し、政治家や政党はその信託に応え、代表として行動を行うわけだ。逆に公約や理念に反する行動をとれば支持率の低下になり、次の選挙で不利になるかもしれない。
これに対して、直接民主主義では、人々が争点ごとに直接決定に参加し、政治家がいるとしても、市民の意思を伝える「代理」としての性格が強くなる。生活者ネットワークが議員を市民と議会・行政をつなぐ「代理人」と呼んできたのは、その一例である。
もともとの声明の範囲内で行動する署名運動は、代理型である。これに対して、署名者の信託に応えて、声明の論理に基づいて新しい状況に対応する署名運動は代表型と言えよう。「生活と平和」署名運動は代表型なのである。代表も署名の理念と目的に拘束されるが、その範囲内で、状況の変化に応じて判断する点が代理と異なる。
実際には、代表型の活動を行うためには、当初の声明の理念に即して適切な活動を展開するための能力が求められる。「生活と平和」署名は、国政を担ってきた政治家たちが参加して中心的な役割を担っているので、そうすることが可能になっているわけだ。
つまり、発起人・呼びかけ人たちが数万の署名者の「代表」として行動していることになるから、ここにはデジタル署名における「代表」の活動が自(おの)ずから生成していることになる。これは、デジタル民主主義論で議論されていたような直接投票や投票権の委任ではない。しかし、声明や要求への署名を起点として、その趣旨に限定された信託に応え、発起人が状況の変化を解釈しながら行動する代表関係である。私はこれを「署名代表」、その仕組みを「デジタル署名代表民主主義」と呼んでみたい。ここにおいて直接民主主義と代表民主主義は必ずしも対立しない。直接民主主義的な市民参加そのものから、新しい代表関係が生成し得るのである。これは、直接民主主義のもとで展開する間接民主主義であり、いわば統合型民主主義ということができるだろう。ただし、この信託は白紙委任ではない。署名代表は声明や要求の理念と目的に拘束され、活動を署名者に報告する。当初の趣旨を大きく超える行動が必要なら、改めて意思を確認する必要が生じる。この限定性と説明責任が、署名代表の条件となる。現在の「生活と平和」署名運動でも、発起人たちの行動をできる限り可視化し、署名者に定期的に知らせている。これは、署名によって示された意思に対して発起人が責任を負い、その活動について説明するという代表責任の萌芽(ほうが)である。
実際、直近では、署名者の声を背景として、イラン外相・外務省報道官が厳しい対日発言をした上記の2論点について、呼びかけ人の現職・前職国会議員が中心になって外務省・防衛省へのヒアリングを行った(9月25日)。市民の懸念を具体的な政策上の問いとして政府に伝え、その内容を署名者に報告したのである。これも、このような署名代表の実践の一例と言えるだろう。
この信託と代表の関係は、署名の段階から明示することも考えられる。デジタル署名のプラットフォーム自体に、信託の範囲、代表者の活動、報告、必要に応じた再確認の仕組みを組み込めば、署名は一時的な賛同を超えて、持続的な民主的参加の制度へ発展し得るだろう。
*ハンナ・ピトキン『代表の概念』(名古屋大学出版会、2017年)。J・マンスブリッジは、選挙における通常の代表関係に加えて、複数の代表形態を論じている。本稿の「署名代表」は、これらとは異なる新しい代表形態だが、この議論と関連させて説明できる
「超政党」のデジタル民主主義
ここから想像力の翼を羽ばたかせてみると、従来の代表制民主主義の限界を超えたデジタル民主主義のビジョンが浮かんでくる。
既存の政治運動においては、政党が結成されるときに、理念や綱領、基本的政策が定められる。主としてこの決定は、結成する政治家たちが議論しつつ行う。有権者は報道などでそれを知り、選挙の時に、自分がもっとも共感したり支持したりする政党に投票する――これが、教科書的な議会制民主主義の姿だ。
しかし、実際には有権者は支持政党の全ての政策に賛成しているとは限らない。選挙では、最も多くの政策に共感する政党を選ぶとしても、一票がその政党の全政策への全面的賛同を意味するわけではない。これに対して、「デジタル署名代表民主主義」においては、署名者は当初の声明や呼びかけ文に賛成しているのだから、初めから反対の政策はない。そこで、その署名活動の「代表」活動に対する違和感や異論は通常の政党活動に比べれば少ないはずだ。
「生活と平和」署名運動で、世界的な問題に対して「何かしたい」と思う市民が、署名や拡散によって自らも行動したという実感を持つことができたという感想を目にした。そして発起人が実際に働きかけ、その経過を知らせれば、一回限りの意思表示は継続的な参加へ近づく。署名や拡散による参加型民主主義と言えよう。
しかも、関心のある別のテーマについて、共感する別の署名があれば、そちらにも署名して拡散などの活動を行うことができる。投票の場合には、(比例区と選挙区などで別の政党に投票することは可能なものの)一つの選挙方式では複数の政党に票を入れることができないのに対して、デジタル署名においてはこのような制約がない。だから、外交問題に関して「生活と平和」声明に署名して、内政に関して「皇室典範改正反対」声明に署名することができるし、逆に「皇室典範改正」声明に署名することもできる。ある声明への署名は、別の声明への署名を妨げず、どのような選択もできるというわけだ。
ここには、政党とは別の可能性が存在する。なぜなら、政党の場合、選挙で競合することがあるから、いずれかを選択しなければならない局面も訪れる。これに対して、署名Aと署名Bとは必ずしも背反しないから、ある人が両方とも署名したり呼びかけ人となったりして関わることが容易である。そして、双方が代表型であれば、同じ人がそれぞれの呼びかけ人や賛同人となって、署名代表となることもできる。また、別の政党に所属している人が同じ署名運動の代表となることもできるわけだ。
これは、政党ではないものの、個別政党を超えて政治を支えるという意味で「超政党」と呼ぶことができるかもしれない。「超党派」と似ているが、同じではない。超党派が既存政党に属する政治家たちの党派横断的協力を意味するのに対して、ここでいう超政党は、政党を基本単位とせず、理念や価値、個別の争点を通じて、市民と代表者が政党の境界を超えて結びつくことを意味する。
たとえば、「人権外交を超党派で考える議員連盟」は、ICCの赤根所長への米国制裁について緊急非難声明を出し、日本政府に米国への抗議、制裁撤回要求、ICC支持の明確化を求めて、中谷元・元防衛相(自民党)らが他政党の議員とともに国光元外務副大臣や木原稔官房長官に申し入れた(9月14日・15日)。「生活と平和」提言発起人一同のICC制裁に関する声明と基本的に同じ主張だから、私も大いに共感した。
議員連盟では、異なる政党に属する議員が「超党派」で協力する。これに対して署名活動では、政党所属の有無や種類を問わず、署名内容に賛同する市民や署名代表が政党の境界を超えて結びつく。ここに、超党派よりも広い「超政党」への展開がある。多様な人々が超政党、つまり政党を超えて、共通の目的のもとで活動するわけだ。





