栄福の時代を目指して(2) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

総選挙をどう見るかーー新しき「源氏」は何処に?

前連載の第81回では、「新しい『源氏』は何処(どこ)に?」と題打ち、第84回では「徳義連合」による政治的浄化というビジョンを示した。まだこのような連合は誕生していない。総選挙では、以前の野党共闘がほぼ崩壊し、野党間の選挙協力が大きく後退した。もし本格的な選挙協力が全国的に行われていたら、野党の議席はさらに躍進しただろう。政権交代にまで至ったかもしれない。

簡単に選挙の総括をしておこう。立憲民主党が躍進したのは、小選挙区で、自民党に失望した有権者が投票したからである。この大きな要因は、中道的に見える野田佳彦氏が代表となったことにあると思われる。私は、代表選の時に野田氏がこの政党にとっては最善の選択と考えていた。その理由は、第88回で都知事選について説明したように、今は、典型的なリベラル派では選挙に勝てないからだ。もし代表が典型的なリベラル派だったら、自民党への失望票は、より中道的ないし保守的な他の政党へと流れただろう。それでも、立憲民主党ではなく、国民民主党に投票した有権者が相当いたからこそ、国民民主党が躍進したのである。

もっとも比例代表区では立憲民主党の票はほとんど伸びていない。ここから、この党が独自の理念や政策で人々の心を捉えたわけではないことがわかる。よって、理念や政策を一新して魅力的なものにすることがこの党の課題である。

一方で、自民党裏金問題を初めに報道して明るみに出したのは共産党の機関紙「しんぶん赤旗」であるにもかかわらず、共産党の議席は減少した。与党の公明党も敗北したが、裏金問題の逆風に加えて、池田大作氏の死去の影響も想定される。この両党とも支持層が高齢化していることも一因と思われる。このように戦後政治において重要な役割を担ってきた2政党が後退したのも、時代の変化の一面である。

他方で、都知事選でポピュリズムが顕著だったように、れいわ新選組が伸長した。また国民民主党にも、103万円の壁などを訴えて若者で支持が伸びた点などを捉えて、ポピュリズム的要素を見る人もいる。国民民主党は民主党からの流れを汲(く)んでいるから、必ずしもポピュリズム政党とは見なせないが、これらの新しい政党の伸長にポピュリズム的な潮流を見ることはできるだろう。日本維新の会の敗北は右派ポピュリズムの退潮を意味しているのに対し、左派ないし中道のポピュリズムが台頭したということになる。

共産党や公明党のような既成政党が退潮したことと、ポピュリズム的潮流が加速したことは、明白なコントラストをなす。ポピュリズムは、新時代の政治を体現するわけではないが、時代の過渡期における流動化と混沌(こんとん)を表しているのである。

日本政治の曙光――公共的民主主義による栄福政治

この混沌の先に現れるのは、どのような政治だろうか。当面、与党に国民民主党の協力が必要だから、政治は中道右派の方向へ進むだろう。同時に、野党も立憲民主党は野田代表時にはリベラル左派よりも中道が中心となるだろう。つまり、与野党とも中道へと寄ることになる。健全な政党政治にとって与野党の対立は必須だが、現時点では参院選を念頭に置いて立憲民主党も明確な与党批判をするだろうから、双方の間の対立のダイナミズムが機能するだろう。

私としてはこの角逐の中から、新しい政治的潮流が現れ出(い)ずることを期待したい。『利害を超えて現代と向き合う』で説明してきたような徳義共生主義(コミュニタリアニズム)は、まさにこのような倫理的中道思想である。政党や政治家が新しい理念を探し求める時に、この思想は混沌の時代を照らす灯明となり得るだろう。

時代の大きな課題は、裏金問題をはじめとする政治的腐敗や政治の私物化を浄化して、高い精神性に基づいて政治において公共性を回復することである。民主主義の再生は、公共性の復興へとつながるべきだ。振り返ってみれば、政権を獲得したときに、民主党は「新しい公共」を主張していた。立憲民主党や国民民主党は、その源たる民主党の理念だった公共性に改めて注目すべきではなかろうか。

人々の政治への参加と自治によって公共性の実現を目指す民主主義やその政治は、「公共的民主主義」ないし「公共的民主政治」と言えるだろう。説明は割愛するが、これは学問的には「共和主義的民主主義」という概念に相当する。徳義共生主義と合わせて言えば「公共的徳義民主主義」ということになる。

政党やその連合が、徳義に基づいて、政治を浄化し、このような公共的民主政治を実現することができれば、新しい日本政治への道が開かれるだろう。一つの時代が過ぎ去ってこのような可能性が現れ始めたが故に、総選挙を経て日本政治の曙光(しょこう)が水平線上に射(さ)し始めたと思われる。

まだこのような新しい政治の確固たる担い手は出現していない。新しい「源氏」という英雄的存在は何処から立ち現れるのだろうか。その帰趨(きすう)が決まるまでには、政治状況のさまざまな過程や転変が必要となるだろう。

この可能性が確固たるものになるためには、いずれかの政治的グループにおいて、まず新時代を切り拓(ひら)く政治的理念が確立しなければならない。新しい思想が歴史を動かすためには通例10年から数十年単位が必要である。とはいえ、各種の政治的グループに招かれて私がこのような政治哲学について講演を行ってきた際、真摯(しんし)な反応や関心を感じることも多かった。このような中から、新しい政治の担い手が現れてくることを期待したい。その行方を照らす新ビジョンは、「栄福の時代における政治」、いわば「栄福政治」である。栄福政治とは、栄福、つまり繁栄と幸福をもたらす政治に他ならない。この新連載では、このような政治や政策の諸相についても書いていきたいと思っている。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院社会科学研究院長、千葉大学公共研究センター長で、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科特別招聘(しょうへい)教授兼任。専門は公共哲学、政治哲学、比較政治。2010年に放送されたNHK「ハーバード白熱教室」の解説を務め、日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。日本ポジティブサイコロジー医学会理事でもあり、ポジティブ心理学に関しては、公共哲学と心理学との学際的な研究が国際的な反響を呼んでいる。著書に『サンデルの政治哲学』(平凡社新書)、『アリストテレスの人生相談』(講談社)、『神社と政治』(角川新書)、『武器となる思想』(光文社新書)、『ポジティブ心理学――科学的メンタル・ウェルネス入門』(講談社)』など。