食から見た現代(3) 「おかわり」と言えない高校生〈前編〉 文・石井光太(作家)

しかしそれから半世紀が経った今、定時制高校はまったく異なる課題に直面している。佐藤氏は言う。

「定時制高校の校内暴力全盛の時代は1990年代の終わりまでです。2000年を過ぎたくらいから、荒れたイメージが変わっていきました。静かでおとなしい子が急に増えたのです。

おとなしい子といっても、問題がないわけではありません。一言で言えば、不登校の子たちです。小中学校で学校に行けなかった子とか、全日制高校をやめた子が、定時制高校に流れてきた。私の印象だと、2000年代の後半くらいには、クラスの生徒のほとんどが元不登校の生徒になっていました。現在、公式的には7割くらいが元不登校の生徒と言われていますが、現場の肌感覚では8割は確実に超えていて、9割くらいがそうですね」

なぜ、そこまで不登校の生徒が増えたのか。背景には社会の変化がある。

1990年代から、首都圏では暴走族に代表されるような“不良文化”が少しずつ消えていった。学校で暴れていた生徒たちを、国、警察、学校が力ずくで押さえつけたことが大きかっただろう。

時を同じくして子どもたちを取り巻く環境を変えたのが、インターネットやゲームの普及だった。学校に居場所を見つけられなくなった子どもたちは、これまでのように不良になる代わりに、家にひきこもって二次元の世界に没頭した。彼らにしてみれば、虚勢を張って暴力の世界で生きるより、誰にも関与されない自宅でパソコンやゲームをしている方が精神的にも肉体的にも楽だったのだろう。そうした子どもたちの一部が中学卒業後に進路として選んだのが定時制高校だったのである。

佐藤氏はつづける。

「定時制高校は、不登校を経験した生徒にとっては、居心地が良い場所なんだと思います。彼らの多くは学校という雑多な空間で学力やコミュニケーション力を養ってこなかったので、他の子たちとうまくやっていくのが不得意です。他人との適切な距離感がわからず、簡単に相手を傷つけてしまったり、逆に傷ついたりしてうまくいかなくなってしまう。貧困、虐待、家庭内暴力、発達障害といった困難を背負っている子も大勢います。

こういう子たちは全日制のようにみんなで輪になって目標に向かっていったり、勉強やスポーツで競争をしたりといったことができません。そういう状況に耐えられない。だから、夜にこっそりと同じようなタイプの子たちと集まり、競争も少なく、密にかかわることもない関係性で過ごす方が性に合っている。一般的には不健全に思われますが、そうした不健全さの中でしか生きられない子もいるのです」

佐藤氏の感覚でいえば、定時制高校の生徒には次のような特徴が見られるという。

・心に何かしらの傷を負っているため、過敏で傷つきやすい。

・傷つきたくないという思いから警戒心が強く、本音を言わないし、世界を広げない。

・2~3人の小さな集団で息を潜めるようにひっそりと過ごそうとする。

・付き合い方がわからないので、周囲の人々を無思慮に傷つける。

学校という濃密で競争意識の高い空間で、こうした子どもたちが人間関係に疲弊し、自分を守るために不登校になるのは致し方のないことだろう。定時制高校は、そんな子どもたちが身を寄せ合うようにして集まり、少しずつ時間をかけて社会性を身につけていくための場所なのだ。

しかし、と佐藤氏は言う。

「今の埼玉県の定時制高校は厳しい立場に置かれています。県はいわゆる勤労学生が減ったことを理由に夜間の定時制高校を減らし、代わりに『昼夜開講多部制定時制』といって日中に通学できる単位制の大規模学校を増やしている。簡単に言えば、全日制高校に併設されている夜間定時制の生徒たちを、日中に授業をする大きな学校へ移そうということです。大人たちの感覚で言えば、そちらの方が健全ということなのでしょう。しかし行政側の本音としては経済効率重視の姿勢があると思われます。

でも、生徒にとってはなかなか厳しい状況ではないかと感じています。夜間部の小規模校に来る子たちは、そもそも太陽の下でたくさんの生徒に交じって授業を受けることができないタイプなんです。にもかかわらず、定時制を減らして、昼夜開講多部制定時制を増やすというのは、彼らの目線に立った政策とは言えないと思います」

教育委員会や親たちにしてみれば、夜間の小規模な学校へ行かせるより、太陽の下で朝から授業を受けた方が健康的だと考えるのは自然だろう。だが、それが必ずしも理にかなっていないというのは、長年現場にいる教員ならではの慧眼(けいがん)だ。

近年は定時制高校の他に、通信制高校も不登校の子どもたちの受け皿になっている。通信制では、生徒は自宅でネットを介して授業を受けながら課題を提出し、年に数度のスクーリングで学校へ行けば単位がもらえる。中には通学コースを設けている通信制高校もある。夜間の授業はないものの、自由度はかなり高く、最近は不登校の子どもたちの間で人気が高まっているのだ。

佐藤氏は言う。

「通信制高校はある一部の生徒にとっては良い面もあると思います。ただ、定時制と比べると、人とかかわる機会が少ないので、どうしても対面でのコミュニケーション力が上がらず、社会に出た時にそのギャップに苦しむリスクもあるのではないでしょうか」

通信制高校の在宅コースに通う場合は、他者との接点が乏しくなる。対人コミュニケーションは、リアルな人間関係の中でなければなかなか身につかないことを考えれば、デメリットの一つであることはたしかだ。

とはいえ、通信制高校の関係者の中には、在宅コースに籍を置いていても、アルバイトなどで人とのかかわりを持つことは可能だと主張する人は多い。それについてはどう感じているのか。佐藤氏の言葉である。

「あまり知られていないと思うのですが、不登校傾向のある生徒は、バイトをやっていなかったり、長続きしなかったりするんです。うちの生徒を調査したところ、1年生でアルバイトを『常にやっている』『かなりやっている』と答えたのは17人のうち5人しかいませんでした。上級生でも20人中9人と半分に満たない。つまり、定時制高校に通っている子でも、5~7割は常時バイトができない状態にあるということなのです。おそらく通信制高校も同じようなものでしょう。そうなると、みんながみんな定時制高校に通いながら、バイトで対人コミュニケーションの力を磨けるかと言われれば、そうではない側面はかなりあると推測できます。とはいえ、家庭の経済状況的に多くの夜間定時制高校生が嫌でもアルバイトをしなければならない状況にあることはたしかですが」

定時制高校といえば、ほとんどの生徒がバイトをしているイメージがあるが、不登校の生徒が増えた今は、そうではなくなっているのだ。生徒の特性を考えれば当然なのだが、こうしたところに大人が思っているイメージと、今の子どものリアルのギャップがあるのだろう。

では、そんな高校生たちにとって「給食」とはどういう意味を持つのか。佐藤氏の案内で食堂へ行ってみることにした。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『遺体』『浮浪児1945-』『蛍の森』『43回の殺意』『近親殺人』(新潮社)、『物乞う仏陀』『アジアにこぼれた涙』『本当の貧困の話をしよう』『ルポ 誰が国語力を殺すのか』(文藝春秋)など多数。その他、『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』(ポプラ社)、『みんなのチャンス』(少年写真新聞社)など児童書も数多く手掛けている。

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