利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(83) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

派閥政治の当否

そもそも、派閥は、それ自体が良くないものなのだろうか。評論家の中には、人事と金を司(つかさど)る派閥は、政治に必要なものであると説明して正当化を図る人もいる。また、政治刷新本部の「中間とりまとめ」(1月25日)で、「派閥から真の政策集団へ」と衣替えをしようとしているように、他の政党でも政策グループは存在するから、名称はどうあれ「派閥」のような政治集団はなくならない、と吹聴する人もいる。

けれども、人事と金だけで集まっている「派閥」と、理念や政策を共にしている「政策グループ」との間には、大きな差がある。確かに後者のような政治集団は政治にとって不可欠なものであり、政策の議論を呼び起こして、政治の機能の活性化にもつながり得る。問題は、理念や政策を欠いた派閥には、そのようなポジティブな機能が少なく、人事や金の配分だけに終始してしまうことだ。

実際には、この双方が混合している例もある。たとえば、自民党の宏池会は、自民党内のハト派(安全保障問題で平和的手段を重視する穏健派)が多いと見られていた。実際に、この「派閥」からは池田勇人、大平正芳、宮澤喜一らの首相を輩出して、軍事化よりも経済成長を追求することが多かった。そこで自民党の良識派が多いとされていて、55年体制下の自民党の保守本流路線を支えてきた。よって、この「派閥」には、理念や政策によるつながりという側面も見受けられた。

ところが、その後継者だった岸田文雄首相は、右派の安倍政治を継承し、軍事力強化、敵基地攻撃能力保有などを次々と実行しようとした。ここには、もはやかつての宏池会の面影は存在しない。よって、このグループもやはり人事と金による「派閥」になってしまっていた。故に、政治的な存在意義は大きく減少しており、岸田派が解散して宏池会という伝統ある「派閥」がなくなっても、宜(うべ)なるかなという思いを禁じ得ないのである。

派閥解消に意義をもたらす理念・徳義

派閥は、学問的には「政治的恩顧主義(クライエンテリズム)」という私の最初の研究主題によって説明される。派閥が日本政治の中核にあるからこそ、この主題を私は研究した。

簡単に言えば、これは、親分と子分の間の互酬関係、つまりギブ・アンド・テイクによる義理人情と実利の関係である。これ自体が悪いわけではなく、このような関係は人間社会に広く見られる。問題は、それに終始していると、政治における理念とそれに基づく政策が減少してしまい、派閥やその議員に関連する後援会から延びるネットワークの外にいる一般国民の福利が損なわれてしまいがちなことだ。

その結果、政治から理念や徳義が失われ、大なり小なり派閥や後援会につながる人々の利益のみが図られて、福祉や平和など、人々の共通の善に背反する政策に陥ってしまうことになる。近時の日本政治はこの弊に陥っているから、理念なき派閥政治は、やはりなくなった方が良い。しかし、それだけでは意味が少ない。まして、少しの時間を経て派閥政治が復活するのでは元の木阿弥(もくあみ)である。理念と徳義が政治に甦(よみがえ)ってこそ、人事と金だけで集まっている派閥の解消に意義が現れるのである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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