利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(78) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

自他への不正義

私が主張している「徳義共生主義(コミュニタリアニズム)」では、愚行権という考え方を必ずしも支持しない。感染症自由放任主義のように、自国民に被害を与える行為を政府が取った場合にも、人々の普遍的な「善き生」を損なっているのならば、国際的・国内的な熟議によって、その政府の政策は不正義となりうる。

まして、汚染水の海洋放出のように、自国民のみならず他国民にも被害を与える政策を取った場合には、自他の国民の「善き生」を損なうがゆえに、いわずもがな、政府は国内的および国際的な不正義を犯していることになる。そして、この不正義は、他国民にも及ぶだけに、自国民だけに関する不正義よりも、深刻な不正であると言わざるを得ないだろう。

汚染水放出は、他国民に被害を及ぼしてしまうだけに、このように次元の異なる深刻な問題であることを認識しなければならない。因果応報という観点からすれば、その結果は他国から自国への被害という形で戻ってくることになりかねない。

周辺諸国の激しい反対はまさしくその予兆と見ることもできよう。実際、中国による日本産水産物の全面禁輸により、8月以降、輸出が大幅に減少し、すでに日本の経済にも多大な悪影響が生じ始めている。福島第一原発の廃炉を進める上で考えられるいくつかの選択肢のうち、日本政府は汚染水の海洋放出が最も経済的費用が少ないとみてこの方法を選んだと推測されるが、「風評被害」対策も膨張して、結果的には経済的にも負担が極めて大きくなっている。経済的な量的有利不利から考える功利主義的発想からしても、海洋放出は正しくはなかったのである。

不正を行わない倫理的な個人と国家

個々人に目を戻してみれば、多くの日本人が、徳義の感覚を持ち、他者を損なうような非倫理的行為はしないように心がけているだろう。同じように、その人々は、国際的な徳義の感覚によって、他国民を損なうような国家的行為を恥じ、そのような不正行為はしないように働きかけることができるはずだ。日本人が普遍的な徳義の感覚を呼び覚まして、不正を行わない倫理的な国家を目指すことを願いたいものである。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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