忘れられた日本人――フィリピン残留日本人二世(12)最終回 写真・文 猪俣典弘
他者の痛みを我が事として感じられるか
私が代表を務める認定NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)は、皆さまに支えられて、今年で発足20周年を迎えることができました。これまでの支援で、約700人の離別した父親の身元を見つけ、300人の日本国籍を回復できました。コロナ禍で活動資金が枯渇しかけた時には、立正佼成会一食(いちじき)平和基金から資金助成を頂き、何とか取り組みを継続できました。サンガ(教えの仲間)の有り難さ、温かさを身をもって知ることとなりました。
この連載中も、佼成会の皆さまからさまざまな励ましの言葉を頂きました。その言葉の一つ一つに、他者の痛みを我が事として引き受ける同悲同苦の心を感じます。この思いこそが、不安定化して危うさを増す世界において、争いを回避して市民と市民をつなぐ原動力になるはずだと信じています。
一方、現実に目を向けると、毎年100人以上の残留二世たちが無国籍のまま他界しています。彼らの悲願であった父親のルーツを見つけ出し、日本国籍を回復して「日本とのつながり」を取り戻すことが、かなわなかった。一人、また一人と命のろうそくが消えていくのを目の当たりにし、無力感を禁じ得ません。
私たちPNLSCは、東京の新宿、マニラに事務所を構えています。大いなる一つのいのちに生かされる兄弟姉妹である私たちは、残留二世が最後の一人になるまで支援を続ける覚悟です。ぜひ、見守っていてください。そして、現地に住む残留者に会いに来て頂き、その声に直接耳を傾けてくだされば幸いです。
年老いた残留二世の肉声を聞くことのできる時間は、極めて少なくなっています。歴史の生き証人である彼らから、日本人の私たちが聴いておくべきことを多くの方々と共有し、戦争の悲惨さと平和への思いを受け継いでいきたいと願っています。
プロフィル
いのまた・のりひろ 1969年、神奈川県横浜市生まれ。マニラのアジア社会研究所で社会学を学ぶ。現地NGOとともに農村・漁村で、上総堀りという日本の工法を用いた井戸掘りを行う。卒業後、NGOに勤務。旧ユーゴスラビア、フィリピン、ミャンマーに派遣される。認定NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(PNLSC)代表理事。
忘れられた日本人