利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(73) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

画・国井 節

メディアの生み出す「世論」(公共的意見)の危険性

今はコロナ禍に加えて、ロシアのウクライナ侵攻による戦争が続いており、日本でも軍拡や北朝鮮のミサイルへの警報問題が起きている。世界的な戦争へと戦火が拡大していく危険性も決して軽視することはできない。このような文明的な危機の重畳(ちょうじょう)において、第二次世界大戦からの洞察を振り返ってほしい――そのような願いをもって、私はウォルター・リップマンの『公共哲学』(1955年)という古典を再訳して、刊行した(『リップマン 公共哲学』2023年、勁草書房)。

このような時期に古典を読む意義はどのくらいあるだろうか? 古典の古典たる所以(ゆえん)は、時代を超えて、さまざまな状況に生きる含蓄を持つことにある。しかしこのような一般論だけではなく、私は今の緊迫した局面においてこそ熟読すべき書物という確信を持って、この翻訳書を世に送り出した。

前回は、強権的政治権力によるメディアへの圧力という問題を論じたが、メディアの問題を論じた有名な古典がリップマンの『世論』(1922年)である。

民主主義理論では、当初は、理性的な人々が十分な情報をもって投票すると考えられていたが、20世紀の大衆社会では、それとは程遠い現実が展開していることをこの作品は描き出し、楽観的な民主主義像を打ち砕いた。「世論」の原語はパブリック・オピニオンだから、直訳すれば「公共的意見」だ。この「公共」が脆(もろ)く、信頼できないものであることを彼は鋭く指摘したのである。

アメリカの代表的ジャーナリストだった彼は、第一次世界大戦時に政府の広報にも携わり、政府によるメディア操作も含め、メディアによる世論形成への悪影響の危険を描き出した。今日(こんにち)の社会では人々がメディアを通してしか現実を知ることができないので、例えばメディアの作り出すステレオタイプな像を信じ込んでしまうのである。

今の日本で言えば、「野党は批判ばかり」というような言説はその典型例だろう。実際には野党も政府や与党の案に賛成して協力していることも多い上に、そもそも建設的な批判を行うことにこそ野党の存在意義があるのである。また、テレビなどにおいて、専門的な政治的知識を持たないコメンテーターの言葉を多くの人々が無批判に信じ込んでしまうと、根拠のないムードが醸成されて、「幻想政治」(第72回参照)に陶酔してしまうことにもなりかねない。

近年のメディアは政治権力の意向を忖度(そんたく)する傾向が大きくなっている上に、高い視聴率を得るために、面白さや人気によって出演者を決めがちなので、リップマンが警鐘を鳴らした現象は日本でもまさに現実のものとなっている。

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