共生へ――現代に伝える神道のこころ(25)最終回 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
神社はこれからも人々と共に――
話はがらりと変わるが、先日訪れた神社の境内の中に見られた共生の光景を紹介しておこう。多摩川沿いに鎮座する日枝神社(通称・丸子山王日枝神社、川崎市中原区上丸子山王町)は、大同四(八〇九)年に滋賀県大津市の日吉大社の御分霊を勧請して創建された丸子地域の総鎮守として崇敬されてきた社だ。毎年二月上旬に行われる、天に向かって矢を放つ歩射祭(=びしゃまつり。通称・おびしゃ)は、現在、川崎市内で五社のみが斎行する祭で、同社の祭が最も古式を残したものとして知られる。境内入り口には、平成二十九(二〇一七)年に建立された真っ赤な山王鳥居(日吉鳥居・合掌鳥居とも)がそびえ立つ。山王鳥居とは、鳥居の中でも最もポピュラーな形式の一つである明神鳥居の笠木(かさぎ)の上に合掌状の扠首(=さす。鳥頭=とっとう=とも)と呼ばれる三角形の構造物を載せたもの。この鳥居は、日吉大社と日枝神社(東京都千代田区)および、その勧請社に多く見られる鳥居だが、日枝神社=山王鳥居というわけではない。この日枝神社でも参道入り口の山王鳥居の奥には、明神鳥居系の山王鳥居とは全く別系統の神明鳥居が建立されており、双方が二重に立ち並ぶ光景を見ることができる。加えて、境内奥の稲荷社前には明神鳥居もある。また、日枝神社の神使は猿であるため、境内には石の狛猿(こまざる)が対で建立されているが、狛猿の少し奥には狛犬(こまいぬ)も一対建立されており、稲荷社前には狛狐(こまぎつね)もいる。つまり、鳥居にせよ、狛犬にせよ、一社にて数種類が建立されているのは、多様なものを許容する神社神道ならではの光景で、多様な工作物の様式が境内に共生することがあるのも神道の魅力の一つである。また、同社に残された古文書には、戦国大名の北条氏直によって多摩川の相次ぐ水害による対岸の村との境界紛争を裁定する印判状が現存している。加えて、境内には、明和・安永期(一七六四~一七八一年)に中原街道沿いの道に地元上丸子村の野村文左衛門が私財を投じて八百八橋と呼ばれる千本の橋を架けたと伝わる石橋の遺構の一部も保存されている。これら地域の歴史をうかがい知る古文書や遺構が同社に残存していることは、決して著名な大社や社格の高い神社ではなくとも長年にわたって人々と共に歩み続けてきた地域所在の神社の共生のあり様の一端を示すものである。
本連載を始めてから二年余になる。わずか二十五回の連載のみで、現代社会における神道・神社の共生の姿を伝えられたとは到底思えないが、千本鳥居を「くぐる」かの如く、無事連載を終えることができたことは洵(まこと)に有り難く、お世話になった方々に謹んで感謝を申し上げたい。これからも神社へ参詣するおのおのの幸せを希求する素朴な心が、鳥居をくぐる如く神々へと無事「通り入る」ようにと、心から乞い願う次第である。
プロフィル
ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より准教授、22年4月より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。
共生へ――現代に伝える神道のこころ