共生へ――現代に伝える神道のこころ(25)最終回 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)

「通過儀礼」という概念

伏見稲荷大社の千本鳥居。願いごとが「通り入る」「通った」という御礼の意味を込め、参道全体に約一万基もの鳥居が奉献されている(筆者提供)

「御胎内巡り」のように、洞穴内を延々と「くぐる」ものではないが、神社境内に入る際にくぐるものに鳥居がある。神社の鳥居は、先に述べた伏見稲荷大社の境内にある千本鳥居のように、境内の中にトンネルのように何基もの鳥居が奉納もしくは建立されている場合もあるが、大半の神社では境内に数基建立されている。中でも第一鳥居と呼ばれる鳥居は、聖域とされる神社の境内と俗界とを区切る境界の入り口にあたる場所にある。神社神道の作法では、鳥居の前で「揖(ゆう)」と呼ばれる浅い一礼をしてから鳥居をくぐる。そして、聖域の中心である拝殿や本殿へと向かって境内を進み、拝殿前において神前に向かって二拝二拍手一拝の作法で拝礼する。この鳥居をくぐり拝礼に至るまでの神道の儀礼作法を、フランスの文化人類学者A・ファン・へネップ(ジェネップとも)の唱えた「通過儀礼」の概念に当てはめて考えると実に興味深い。

諸民族の儀礼研究の上で共通する文化的概念として「通過儀礼」の概念を提唱したヘネップは、門や敷居、峠などの境界を越える際にも、さまざまな儀礼や儀式が行われると指摘する(へネップ著/綾部恒雄・裕子訳『通過儀礼』、弘文堂)。このへネップの考え方からすれば、神社の鳥居や寺の山門をくぐる行為も「通過儀礼」の一部となる。出産によって子供が胎内から世に出(い)でて産湯につかる行為やお食い初めなど、誕生にかかる一連の行事も通過儀礼の一つである。その意味では、先に述べた「御胎内巡り」も通過儀礼の疑似体験とも言えるだろう。

へネップは「通過儀礼」を「分離」の儀礼、「過渡」の状態、「統合」の儀礼という三つの段階(状態・行為)に分類する。「分離」の儀礼は、年齢・身分・状態・場所などの変化や移行に伴い、これまでの位置から分離して次のステージに移るためのもの。「過渡」の状態は、分離と統合の中間の境界線上にある状態のことで、「統合」の儀礼は新たなステージへと移ったことを示すための儀礼を指すとされる。儀礼研究におけるこの概念は、現在でも人生儀礼や宗教儀礼を理解する上で大変有用なものと考えられており、神社の鳥居をくぐり、拝殿前にて神拝作法で拝礼する行為もヘネップの理論に当てはめると、極めて簡便かつ物理的な進入の儀礼行為ではあっても「通過儀礼」の一つなのである。

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