共生へ――現代に伝える神道のこころ(24) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
多彩な郷土菓子にまつわる縁起
菓子といっても、饅頭には別の祖神がいるのが神社信仰の多様性を示す一例だ。奈良市の漢國(かんごう)神社には「林神社」という境内社がある。この神社に祀られる御祭神は、我が国で最初に饅頭を作ったとされる林浄因(りんじょういん)だ。林浄因は宋の文人林逋(=りんほ。和靖=なせい)の末裔(まつえい)で、室町時代前期に建仁寺(京都府)の龍山禅師が宋から日本に帰国する際、弟子となって禅師と共に来日して、奈良に居住した。その後、浄因が中国風の饅頭を日本人好みの味に変え、山芋と小麦粉の皮で餡(あん)を包んだ薯蕷(じょうよ)饅頭を日本で初めて製造したところ、寺院に集う人々の間で評判となった。
後に浄因の子孫は京都へと移住し、「塩瀬」という屋号にて宮中や足利将軍家にも出入りするようになったことで商売は軌道に乗り、近世になると江戸にも出店した。その塩瀬の饅頭ののれんは、現在の東京都中央区明石町にある「塩瀬総本家」へと受け継がれている。
また、漢國神社境内には林浄因が結婚した際に、子孫繁栄を願って紅白饅頭を埋めたとされる場所に「饅頭塚」という塚があるほか、浄因の命日である四月十九日に饅頭や菓子に関係する業者が全国から参集して「饅頭祭」なる祭礼が行われており、参拝者にも饅頭が授与される。
林神社は饅頭の祖神として知られているが、隣県の滋賀県には餅の祖神として知られる小野神社がある。同社の御祭神は、天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)と米餅搗大使主命(たがねつきのおおおみのみこと)。遣隋使として中国へと渡航した小野妹子はこの地の出身といわれていて、同社は小野一族の祖神を祀る。米餅搗大使主命は天足彦国押人命の子孫で、応神天皇の御代に初めて餅を作って献上し、「米餅搗(たがねつき)」の姓を賜ったと伝えられている。同社では毎年十一月二日に、蒸す、茹(ゆ)でるという火を使う行為を一切せず、粉餅で「餅の原型」ともいわれる「餈(しとぎ)」を藁に詰めて神前に供えて五穀豊穣(ほうじょう)を祈念する「餈祭」が斎行される。餅の祖神としても知られるだけあって、同社には石の鏡餅が建立されており、狛犬とともに大きな鏡餅が社前を守護しているのも興味深い。
饅頭のみならず、菓子の一つには飴(あめ)もあるが、都内には生姜(しょうが)飴を境内で頂戴(ちょうだい)できる神社がある。港区の芝大神宮だ。増上寺の近隣に鎮座し、「芝の神明さま」とも呼ばれる同宮では、例年九月十一日から二十一日にかけて斎行される「太良太良まつり(だらだら祭り)」と呼ばれる祭りが著名だ。この祭りの折には、境内や参道で生姜が盛んに売られるため、別名を「生姜祭」ともいう。社務所にて御朱印を依頼すると、併せて生姜飴を頂くことができる。境内の鳥居横には「生姜塚」という塚が建立されている。神社が鎮座する以前から、周辺の畑では生姜が多く栽培されており、この塚はその生姜を神前にお供えされていたことにちなむものだ。古くから薬効があるとされる生姜は「穢悪(えお)を去り神明に通ず」と言い伝えられてきたこともあって、長寿を願う縁起物の一つでもあった。それゆえ、現在でも同宮では、毎月一日に神前にお供えされた「御膳生姜」が厄除けの縁起物として参詣者に頒賜(はんし)されている。
生姜飴もよいが、寒い時期には温かい生姜湯が冷えた身体には染みわたる。芝大神宮の生姜飴や生姜湯のみならず、神社にゆかりある種々の餅や菓子など食べ物の縁起にふと、あやかりたくなるのが日本人の性である。社寺の参道にある“銘菓の乙な味”を楽しむのもよいが、年中行事の中に神社とも関わりの深い和菓子や郷土菓子が数多くあるので、こうした菓子の一つ一つに目を向け、その由来を知りながら食してみてはいかがだろうか。日本文化の豊かさと奥深さだけでなく、菓子からうかがい知ることのできる神々の共生の姿をぜひ再認識してほしいと思う。
プロフィル
ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より准教授、22年4月より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。
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