共生へ――現代に伝える神道のこころ(21) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)
神紋の細かな差異が神社の系統を示す
近代になると、明治二(一八六九)年八月二十五日の太政官布告第八百三「社寺濫に菊御紋を用ふること禁止」と明治四(一八七一)年六月十七日の太政官布告第二八五「菊御紋使用は、皇族の外、すべて禁止の件」が出されたことで、その使用を厳重に取り扱うこととなり、菊花紋の権威を高めることにつながった。その後、明治十二(一八七九)年四月二十二日の太政官達第二十号「国幣社社殿の装飾及び社頭の幕・提灯に限り菊御紋使用差支なき件」、同五月二十二日の太政官達第二十三号「明治二年八月の制以前、神殿、仏堂に装飾の菊御紋に限り特に存置せしむる件」の達が出されてからは、官国幣社一般に菊花紋を使用することを許すようになり、他の神紋を用いていた神社でも菊花紋を使用するようになり、全国各地の社に普及した。なお、靖國神社では十六弁菊花紋の中に桜花を重ねたものを社紋として用いている。
一方、時代劇の水戸黄門で毎回登場する印籠に刻まれた三つ葉葵(あおい)の紋は、徳川家の家紋として著名である。神社の神紋としては、徳川家康を祀る全国の東照宮の神紋となっている三つ葉葵のみならず、さまざまな種類の葵紋が神紋として用いられている。京都三大祭の賀茂祭には双葉葵(ウマノスズクサ科の多年草)を供え、社殿を葵で飾るほか、神職の冠にも葵を付けるが、賀茂祭を斎行する賀茂別雷神社、賀茂御祖神社の神紋は双葉葵(二葉葵)である。さらに、賀茂別雷神社の御祭神である別雷神の父神にあたる大山咋命(おおやまくいのみこと)を祀る京都府の松尾大社や滋賀県の日吉大社、東京都の日枝神社では葵紋を神紋に用いている。なお、日枝神社の場合、江戸時代に徳川将軍家からの庇護(ひご)を受けていた社だが、神紋に関しては本社にあたる日吉大社にちなむもので、将軍家から頂戴(ちょうだい)したものではない。松尾大社の葵紋については、立ち葵と呼ばれるもので、同様に葵の葉の間に蕾(つぼみ)を持つデザインの日枝神社の葵紋とは図案が異なる。松尾大社の神紋は同じ葵紋でありながらも、日吉大社や日枝神社のものとは違うデザインの流れで、同一の神を祀る神社であっても、神紋の細かな差異をもって無言のうちに神社の系統が異なることを示しているのだ。
神紋は現代社会でいうところの企業のロゴマーク、CI(コーポレート・アイデンティティー)とは意味合いが異なるものかもしれない。しかしながら、個々の神社や御祭神を示す上で目に見えるシンボルでもあり、その社の歴史や由緒の一部でもある。神紋が神社の由緒とともにその社の表徴の一つとして取り入れられ、一社の中でも一つならず幾つかの替え紋も含めて、その社で共存・共生してきた歴史にも、日本人の神社信仰の側面の一つをうかがい知ることができよう。
プロフィル
ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より准教授、22年4月より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。
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