現代を見つめて(77) 旅が教えてくれるもの 文・石井光太(作家)

旅が教えてくれるもの

国が観光需要を喚起させるために行う「全国旅行支援」がスタートし、久々に旅行熱が高まり出している。対象となるのは、主に娯楽としての国内旅行であり、コロナ禍によって長らく停滞した観光産業を活性化させるのが目的だ。

現在、旅行と言えば、インスタ映えする少々リッチな観光がイメージされるが、少し前までは当たり前のようにこんな言葉がつかわれていた。

「かわいい子には旅をさせよ」

国内外を回ることが困難だった時代、旅が与える試練は若い人たちに多くのことを学ばせ、成長させるものだった。

これは私自身に置き換えてもそうだった。1990年代半ば、私は大学一年の時にパキスタンとアフガニスタンへ一カ月ほど行き、荒野に広がる難民キャンプを彷徨(さまよ)ったことが、ノンフィクション作家を志すきっかけになった。

旅が教えてくれるのは、自分自身がどれだけ小さく、無力な存在かということだ。世界の不条理に打ちのめされ、圧倒的な価値観の違いに困惑し、自分の意見さえまとめることができなくなり、時には難民の子供にまで言い負かされる。

そんな中で、嫌と言うほど自分の弱さを凝視させられるからこそ、今の自分に何が必要なのか、どのように生きるべきなのかをゼロから考え、悔しさに背を押されてがむしゃらに実行する。その行動こそが人生を切り開く原動力になるのだ。

旅の形は違えど、小澤征爾の『ボクの音楽武者修行』や、沢木耕太郎『深夜特急』にも同じことが当てはまるだろう。旅(留学や修行を含む)は、人に本人の予想をはるかに上回る成長を促すものなのだ。特にあらゆる競争が世界規模でくり広げられるようになった現在、本当に必要なのはそうした体験ではないか。

だが近年、旅の概念は非常に狭いものになった。コロナ禍によって個人旅行への意欲が削(そ)がれ、SNSの流行でインスタ映えする便利でリッチな観光地だけが注目を浴びている。今後はメタバース(三次元仮想空間)を利用した世界疑似旅行が大いに流行するだろう。

いくら科学技術が発達しても、人には旅からでしか得られない経験や成長が確かにある。コロナ禍の出口が見えはじめ、少しずつ外へ出る機会が増えてきた今、国には経済活動だけでなく、若者の成長という観点からも旅を促進してほしい。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。

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