現代を見つめて(76) 「愛国心」という言葉 文・石井光太(作家)

「愛国心」という言葉

安倍晋三元首相の「国葬」に対する疑問の声が巻き起こっている。岸田文雄首相は、火消しをするように国会でこう述べた。

「国民一人ひとりに弔意の表明を強制しない、喪に服することも求めない」

是非は別にして、国葬の表向きの目的は、国家にとって偉大な貢献をした人をたたえることだ。ただし、どの国の国葬でも、その裏では国民に一丸となって故人を偲(しの)んでもらうことによって愛国心を高める狙いがある。

国は折につけて国民の愛国心の高揚を促す。国歌斉唱、古典や歴史の教育、皇室行事、勲章・褒章制度、五輪の参加、伝統文化の継承……。こうした働きかけの中で、国民は知らず知らずに日本人という意識を持ち、国に愛着を抱くようになる。

私は決して愛国心が悪いものとは思わない。アフリカで起きた数々の内戦を思い出してほしい。

植民地時代、イギリスやフランスなどの宗主国によって、多くの国が文化を破壊され、民族同士の対立を煽(あお)られ、歴史を捻(ね)じ曲げられた。植民地支配が終わった後、愛国心を失った国民は団結できず、民族、宗教、主義ごとに分裂して、血で血をぬぐう内戦を何十年も続けた。

国家が一つにまとまり、平和を築くためには、国民が適切な形で愛国心を共有する必要がある。国家というコミュニティーが正しく成り立つには、国民一人ひとりの愛国心が欠かせないのだ。

だが、今の日本では、「愛国心」という言葉が、どこかきな臭いもののように語られることが多い。それは国が国民に対して、愛国心を抱くことに対する適切な対価を与えられていないからではないか。

人がチームや会社といったコミュニティーに加わり、愛を持って貢献するのは、喜びや金銭などの対価が発生するからだ。それがなければ、人々は団結できず、コミュニティーは崩壊する。

今の日本はまさにそうなりつつあるのかもしれない。国民は愛国心を持って貢献しても、福祉や教育といった対価が適切に得られなくなりつつある。だから、国が愛国心を鼓舞しようとすると、それ自体が胡散(うさん)臭く感じられてしまう。

国が正しくあるために、政治家は対価の重要性をもっと考えなければならないだろう。

プロフィル

いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。

【あわせて読みたい――関連記事】
◇現代を見つめて
◇食から見た現代