共生へ――現代に伝える神道のこころ(15) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部教授)

あらゆるいのちに生かされて

例えば、岡山県津山市二宮には、『今昔物語』に「中山は猿、高野は蛇」として登場する髙野神社がある。同社は古代より暴れ川であった吉井川が大きく蛇行して市街地に入る箇所を守るように鎮座しており、境内には『万葉集』の歌枕の比定地の一つとしても知られる「宇那提(うなで)の森」の古木が今も現存している。「うなで」とは水田に水を引き入れる「溝」の古語であり、水にゆかりのある語でもある。同社の境内は、戦国時代にに備前の宇喜多氏によって樹木が城砦(じょうさい)の資材として伐採されるまで、鬱蒼(うっそう)とした椋(むく)の森であったと伝えられている。

先に掲げた『神道大意』において強斎は、自然の事物に感謝し、恐れ謹むことが神道であると述べた。しかしながら、日本人があらゆる山川草木を全てそのまま大切にし、神々として崇め、これを拝してきたわけではないだろう。近所に生えている木々の近くを歩くたびに、いちいちこれを崇め拝む人は現代社会には、ほぼいないであろうし、山々が全て奈良県桜井市の三輪山のような御神体山として祀られる神だとするならば、山で林業に従事する人々は、窮屈で仕方ないだろう。つまり、自然を大事にすることと、それを神様として祀ることはイコールではないのだ。

神道では、人々は何をやっても自然の恵みのおかげで暮らしているからこそ、自然の中の一部の象徴的な事物に神々の存在を感じ、神の宿る依代(よりしろ)として崇め祀ることで、自然の有り難さ、大切さを祭りのたびに確認してきた。また、人と自然とが一体であるという点では、山に生える木々が生活に必要であれば、林業に従事する人々は木々を伐採するが、全てを切り尽くすわけではない。同様に山の恵みであるキノコがたくさん生えていても、全てを採り尽くすのではなく、何本かを必ず残しておくことに意味がある。こうしたこと一つとってみても、日本人の自然との共生、付き合い方の知恵の一つがあると言えよう。

また、山の木々を全て伐採してしまえば、水を蓄える山林の機能が失われてしまい、風雨の際には大水が流れ出て山が荒れるばかりか、川から大量に流出した土砂で田畑が埋もれてしまい、作物も育てられなくなってしまう。漁業家の畠山重篤氏が説く「森は海の恋人」という言葉もあるように、まさに山から川、田畑、海に至るまで自然は一体のものであるのだ。平成十五(二〇〇三)年に72年ぶりに行われた茨城県の金砂大祭礼(=かなさたいさいれい。東金砂神社・西金砂神社)は、常陸太田市にある金砂山から日立市の水木浜までの往復およそ75キロを、一週間かけて神輿(みこし)を担ぎ出す祭礼で、仁寿元(八五一)年から現在まで続けられている。山から海までを神が練り歩き、一体の祭場とする祭礼が現代まで継承されていることは、自然と日本の神との関係性を考える上で興味深い事例である。

天竜川水系の水窪川。天竜川の龍神伝説のように、日本では古来、水の流れを水神が姿を変えた竜や大蛇として崇めるなど、自然に神を見いだし、畏敬の念を抱いてきた

人が生きていくためには、どうしても水をはじめとする自然界の事物に対して何らかの手を加えて生活を営まざるを得ない。その一方、我が国では、自然は自分たちのいのちと一体のものだという感情を持ち、大事にしてきた。自然の事物を神として祀ることは、神道にとって特別なことではない。自然崇拝や祖先崇拝などが相まって神社神道の信仰を築き上げてきたこともあり、自然崇拝だけをもって神社や日本の神の本質を語ることはできない。しかしながら、日本固有の基層文化である神道の神話や儀礼、信仰を基に神道の自然観を考え、そこから未来を生きる人々が持続可能な社会を求めて自然と共生していくヒント、生活の知恵を見いだすことができるのではないかと思う。
(写真は全て、筆者提供)

プロフィル

ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より准教授、22年4月より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。

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