共生へ――現代に伝える神道のこころ(11) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

それぞれの守護神として鎮座する社

こうした社は寺院・城郭だけにとどまらない。近代に入ると会社や工場などにもそれぞれの鎮守として、ビルの上や工場内に神社を創建しているケースがある。いわゆる「企業の神社」と呼ばれるものだ。この企業内に創建された社については、昭和六十一(一九八六)年に宗教民俗学者の宇野正人氏によって『企業の神社』(神社新報社)が発刊されており、同書には49社の企業の社が紹介されている。

例えば、三菱関連企業には稲荷社が祀られているケースが多い。これはもともと大阪府の土佐藩の蔵屋敷に守護神として祀られていた稲荷社を、明治期に入り、岩崎彌太郎が屋敷とともに継承して土佐稲荷神社として再興し、三菱商会の守護神として崇敬したことから、土佐稲荷神社は三菱ゆかりの社となっている。なお、一例ではあるが、三菱グループ傘下の三菱ふそうトラック・バス株式会社の本社がある神奈川県川崎市中原区の川崎製作所内には、鹿島田稲荷神社が鎮座している。

興味深いのは、川崎市幸区にある三井ショッピングパークの一つ「ラゾーナ川崎プラザ」の4階に鎮座するラゾーナ出雲神社である。明治四十一(一九〇八)年から稼働していた東芝川崎事業所(旧堀川町工場)内に鎮守社として祀られていた出雲神社が、平成十二(二〇〇〇)年に川崎事業所が閉鎖した後、平成十八(二〇〇六)年のラゾーナ川崎プラザの建設に際し、改めて社殿を設けてショッピングパークの鎮守神として遷座されたケースである。以後、ショッピングのために訪れた人々が出雲神社に参詣する姿が見られるようになり、東芝の工場時代とは異なって、広範な地域から多くの人々が詣でるようになった。

等々力陸上競技場に安置されたフロンターレ神社には、川崎フロンターレの勝利を願って多くのサポーターが参拝する

また、正式な神社ではないが、サッカーJ1の川崎フロンターレのホームグラウンドである等々力陸上競技場には、場内の北隅にフロンターレ神社と称される小さな社がある。同社には、川崎フロンターレのマスコットキャラクターである「ふろん太」が、社の中にお札とともに祀られており、鳥居や賽銭箱(さいせんばこ=試合開催時のみ設置)もある。川崎市内の若宮八幡宮には同社から分祀(ぶんし)されたフロンターレ神社(非公開)もある。Jリーグのシーズン開幕前には、川崎フロンターレの選手らは若宮八幡宮や川崎大師(真言宗智山派大本山金剛山金乗院平間寺)へと必勝祈願に赴くが、それ以外にも、川崎フロンターレ主催でこのフロンターレ神社に若宮八幡宮の神職を招き、試合運営の安全や必勝祈願などが行われている。同社は試合日のみ開扉され、別の競技イベントの際には閉扉している。勝利を願うファンから賽銭箱に寄せられた浄財は川崎市環境局に寄付され、競技場の修繕・整備基金に充当されている。このような事情から見ても、川崎フロンターレおよびそのファンにとってこの社は、まさに川崎フロンターレの鎮守神と言えよう。

今回は、村の鎮守に始まり、城、企業、サッカーチームなど、さまざまな場所に鎮守の社が点在する姿を述べた。我が国ではあらゆる場所に神を祀り、日々の安寧を願ってきたことをうかがい知ることができる。社会の移り変わりの中で、かつての備中板倉藩邸の稲荷社がのちに中野刑務所(現在は廃止)内の稲荷社となった事例やラゾーナ出雲神社のように、工場の神からショッピングパークの神へとありさまが転換することもある。前出の宇野氏が『企業の神社』を発刊してから35年余。そろそろ、現代社会における鎮守の神の在り方や変容の姿にも、改めて調査や分析を行っていく時期にあるものと考えている。
(写真は全て、筆者提供)

プロフィル

ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部准教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。

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