共生へ――現代に伝える神道のこころ(9) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

徳川家康ゆかりの浅間神社(静岡・富士宮市)。浅間造と称される本殿は社殿の上に別の社殿が建つ、他に例を見ない二重の楼閣造となっている

長い年月をかけ変わりゆく建築様式

仏教伝来以後、平安時代になってからは寺院建築の影響を受けて屋根に反りをつけた建物が多く見られるようになった。先に掲げた流造や奈良県の春日大社の本殿に代表される春日造は仏教建築の影響を受けたものであり、同様の影響を受けたものには八幡造、日吉造(ひえづくり)、祇園造(ぎおんづくり)、権現造、浅間造(せんげんづくり)などがある。八幡造は、大分県の宇佐神宮、京都府の石清水八幡宮を代表とする本殿形式であるが、本殿の前に前屋を設けて殿舎(でんしゃ)との間を相の間として前後に別々の屋根をかけて二棟を一棟にして一つの本殿とするという形である。これは寺院建築でいうところの双堂と趣が近い。

また、日光東照宮(栃木県日光市)や久能山東照宮(静岡県静岡市)に見られる相の間が土間である権現造も類似する形式である。さらに、神社の本殿建築で一番風変わりなものは浅間造で、その一番の特徴は本殿が二階建てになっていることだ。この他にも香椎造(かしいづくり)や生國魂造(いくたまづくり)など複雑な屋根構造を持つ本殿もある。

各神社でさまざまな建築形式が見いだされ、平安時代の初期頃からは、例えば廻廊や楼門などに見られるように、仏教的な造型は本殿以外の神社建築の中にも受容されてきたと考えられている。

戦前期までの神社本殿は、木造以外の建立はあり得ないという風潮であったが、昭和三十一(一九五六)年に再建された生國魂(いくくにたま)神社(大阪府)の本殿に代表されるように、戦後になり火災や地震などの防災対策のため、外観は既存の和風建築の様式ながらも、鉄筋コンクリート造で建立される社殿も見られるようになった。特に阪神・淡路大震災で倒壊した神戸の生田神社拝殿の再建以後、その傾向は顕著となっている。

さらには、危機管理上の問題や度重なる建築基準法の改正による耐震基準の変更もあって、近年は新築を除く木造での社殿の建て替えや大規模修繕工事の実施に、なかなか困難な状況があるとも聞く。しかしながら、長い年月をかけ人々によって築き上げられてきた文化共存の姿でもある社寺建築の様式や木造建築の施工技術は、一度廃れてしまうとその継続は極めて困難となる。これからもこうした工匠(こうしょう)の技術は、ぜひ後世に継承してもらいたいものである。
(写真は全て、筆者提供)

プロフィル

ふじもと・よりお 1974年、岡山県生まれ。國學院大學神道文化学部准教授。同大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。博士(神道学)。97年に神社本庁に奉職。皇學館大学文学部非常勤講師などを経て、2011年に國學院大學神道文化学部専任講師となり、14年より現職。主な著書に『神道と社会事業の近代史』(弘文堂)、『神社と神様がよ~くわかる本』(秀和システム)、『地域社会をつくる宗教』(編著、明石書店)、『よくわかる皇室制度』(神社新報社)、『鳥居大図鑑』(グラフィック社)、『明治維新と天皇・神社』(錦正社)など。

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