共生へ――現代に伝える神道のこころ(9) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)
工匠の技により築き上げられた「文化共存の姿」を後世に継承し
やや旧聞に属するが、令和三(二〇二一)年二月十三日付の「毎日新聞」朝刊に、岡山県岡山市北区にある国宝・吉備津神社拝殿や県指定文化財の廻廊(かいろう)に傷を付けた男性が、文化財保護法違反の疑いで逮捕されたとの報道があった。平成二十七(二〇一五)年にも十六府県四十八カ所の社寺の楼門(ろうもん)や柱、賽銭箱(さいせんばこ)などにお清めと称して油をまいた行為により、日本国籍を持つ米国在住の医師の男性が建造物損壊容疑で逮捕されたことがあった。社寺のように古くから人々に信仰され、我が国の伝統文化を継承するものとして大切にされてきた伝統的建造物を損壊、汚損する行為は決して許されるものではない。
前述の吉備津神社は「桃太郎伝説」でも知られる三備(備前・備中・備後のこと)随一の大社である。先に述べた総延長398メートルの廻廊や、鳴釜(なるかま)神事が行われる御釜殿(おかまでん)も著名だ。最も著名なのは応永三十二(一四二五)年に室町幕府の三代将軍足利義満が造営したと伝えられる「吉備津造(きびつづくり)」と称される形式の巨大な本殿である。入母屋(いりもや)の千鳥破風(ちどりはふ)を前後に二つ並べ、同じ高さの棟で結んでこれを檜皮(ひわだ)で葺(ふ)き、「エ」形の一つの大屋根にまとめた建物構造を、建築学上は「比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)」と称する。この本殿の大きさは、桁行約14.6メートル、梁間(はりま)約17.7メートル、高さ(土台下端から箱棟上端まで)約12メートルもあり、神社の本殿としては、京都府の八坂神社本殿(国宝)に次ぐ大きさで、24メートルの高さのある出雲大社本殿(国宝)の2倍以上の広さがある。
なお、本殿内部には朱塗りなどの施されている箇所があることなど、仏教建築の影響はもとより、和様、唐様(からよう)、天竺様(てんじくよう)の三様式が混合折衷された建物であると考えられている(藤井駿著『吉備津神社』、日本文教出版)。
一方、寺院建築の中にも吉備津神社本殿と相似する壮観な堂宇(どうう)が存在する。千葉県市川市の日蓮宗大本山正中山法華経寺の境内にある宗祖・日蓮聖人を祀(まつ)る祖師堂である。近年、CMのロケ地となっていたため、見覚えのある方も多いだろう。
この祖師堂は、延宝六(一六七八)年に建立されたもので、吉備津神社より250年ほど後の江戸時代に建てられたものである。千葉県内の仏教寺院の堂宇では最大級であり、こちらも仏教寺院の中では全国唯一の形式で建てられたものだ。ただし、吉備津神社本殿には拝殿が付随することや、かまぼこのような白漆喰(しろしっくい)の亀腹(かめばら)と呼ばれる土台の上に建てられているため、外観面でやや差異があるほか、内部の意匠(いしょう)・構造も異なる(双方ともに外陣・内陣を持つが、吉備津神社本殿は中央に進むにしたがって床と天井が高くなる構造)。そのため、完全な同一形式で建てられた建物とは言えないが、比翼入母屋造で建てられた社寺建築が東西にそれぞれ現存する事実を考えるだけでも実に興味深い。