共生へ――現代に伝える神道のこころ(6) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)

八幡太(はちまんた)神社(大阪・箕面市)の復興記念碑。同神社は明治四〇(一九〇七)年に、政府の神社整理施策によって近隣の阿比太(あびた)神社に合祀されていたが、戦後、氏子が協力し、昭和三〇(一九五五)年に現在地に復祀された

合祀・合併への反対運動が各地で起こり

こうした神社の整理施策は、現代の過疎化や少子高齢化による神社の廃絶や合併とは異なり、人為的に神社を減少させるものであった。しかし、人々が共同で奉斎することが途絶することにより、地域社会の精神的な柱である神社が無くなるという意味では同様である。過疎化の進む日本社会では、人々の奉斎によってその維持・管理が成り立つ神社を、他の地域の神社に合併・合祀してでも維持していく、あるいは地域に住まう数人のみでも神社を護持しようとしたものの、年月の経過とともにこれを諦めるに至り、廃祀を選ばざるを得ないということが考えられる。こうした選択を今後、それぞれの地域住民が迫られていく状況へと進むことも想定され、110年前の状況が再び各地域で起こり得ることを指し示していると言える。

身近な生活の場から神社が消えてしまうことについては、さまざまな形で合祀・合併に対する反対運動が巻き起こり、特に南方熊楠(みなかたくまぐす)の神社合祀反対運動が著名である。熊楠は合祀による悪影響を七点に分けて指摘している。

概要を述べると、(1)合祀で敬神思想は高まるというが、これは官吏の机上の空論で政府はこれに騙(だま)されている。(2)合祀は地域の住民の和融を妨げる。(3)合祀は地方を衰微させる。(4)合祀は国民の慰安を奪うとともに人情を薄くして、地域の風俗を害する。(5)合祀は愛国心を失わせる。(6)合祀は土地の治安と利益に害をもたらす。(7)合祀は史蹟(しせき)と古伝を滅却してしまう、というものだ。

神社の合祀・合併という神社整理施策には一つの目的があった。それは、日露戦争後の疲弊した国内状況を背景として、政府は国民の敬神観念の高揚が意識させ、「国家の宗祀」にふさわしい神社を創出するため、設備や維持管理、祭典執行など神社の置かれている状況を、合併による基本財産の増加等によって改善し、地域住民の精神的な統合の中核機能を目指すというものであった。しかしながら、被合祀神社やそれを祀(まつ)る地域社会では大きな事件として記憶され、祭礼や地域の神社信仰の変化をもたらす結果となったのである。

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