現代を見つめて(63) 障害者を取り巻く社会の変化 文・石井光太(作家)
障害者を取り巻く社会の変化
一九六四年に開かれた東京パラリンピック。
この当時、日本には戦傷者も含めて大勢の障害者がいたが、積極的に社会へ出て何かをするという風潮は乏しかった。
社会は障害者への理解が不十分だった。駅や学校にバリアフリー対策は施されておらず、支援サービスやボランティアも少なかった。あからさまな偏見もあった。そのため、多くの障害者たちが家や施設でひっそりと生活することを余儀なくされていた。
こうした息苦しい社会に風穴を開けたのが、東京パラリンピックだった。
それまでの日本では、障害者が人前でスポーツをすること自体が珍しかった。日本人選手の中には、医療者から「東京パラリンピックの参加者が少ないから出てくれ」と頼まれ、断れずにいやいや出場した人も少なくなかった。
ところが、先進国だった欧米諸国からやってきた選手たちは、まったく違った。彼らは障害を恥じる様子もなく、公衆の前で堂々と振る舞った。スポーツを楽しみ、外国人とも健常者とも仲良くし、人生に対して前向きだった。企業で活躍している人や、結婚している人たちも珍しくなかった。
日本の障害者たちは、こう思ったという。
――障害者ではなく、「人」として人生を楽しんでいいんだ。
この気づきが、日本の障害者を取り巻く環境を変えた。社会はバリアフリーを少しずつ推し進め、障害者が社会へ進出するようになった。啓発や交流の場、それに支援団体も増加した。そういう意味では、東京パラリンピックは日本の障害者が置かれていた状況を大きく改善させたといえる。
あれから五十七年後の今年、賛否両論の中で東京五輪が開催された。来月にはパラリンピックも開かれる。
本大会は、日本が世界屈指の「経済大国」として初めて迎える夏のパラリンピックだ。かつて欧米から大きな気づきをもらったように、今度は日本が他国に与える側だ。
パラリンピックを通じて、今の日本が世界に示せることは何だろう。
そう考えた時、良くも悪くも、本大会は日本がこれまで積み上げてきた福祉のあり方が白日の下にさらされることになる。
プロフィル
いしい・こうた 1977年、東京生まれ。国内外の貧困、医療、戦争、災害、事件などをテーマに取材し、執筆活動を続ける。『アジアにこぼれた涙』(文春文庫)、『祈りの現場』(サンガ)、『「鬼畜」の家』(新潮社)、『43回の殺意――川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(双葉社)、『原爆 広島を復興させた人びと』(集英社)など著書多数。