共生へ――現代に伝える神道のこころ(1) 写真・文 藤本頼生(國學院大學神道文化学部准教授)
八百万の神々――自然万物に宿る神仏を祀り
我が国には「八百万(やおよろず)の神々」という言葉がある。自然のあらゆるものに神や仏の存在を認め、多くの神々を大事にして、社寺に祀り崇(あが)めてきたのは、我が国の特徴の一つだ。神社には、一つの社に一柱(ひとはしら)の御祭神だけを祀るケースもあれば、二柱、三柱の神々を同じ本殿内に併せ祀ることも当たり前である。極端な事例では靖國神社のように、二百四十六万六千余柱を祀るケースもあり、同社ではその祭神数はいまだに増え続けている。その意味では、まさに八百万神(やおよろずのかみ)という言葉は、あながち間違いではないだろう。
加えて神様の名前で言えば、出雲大社の御祭神である大国主神(おおくにぬしのかみ・大国主大神=おおくにぬしのおおかみ)は、大穴牟遅神(おおなむちのかみ)、大己貴神(おおなむちのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)、八千矛神(やちほこのかみ)、葦原色許男神(あしはらしこおのかみ)、宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)、杵築大神(きつきのおおかみ)等、数多くの別名、異名を持つ。大穴牟遅神、大己貴神のように同じ読み方であっても異字であるケースもある。これらの異名の神々は同一の神だと考えられているわけだが、実は、日本の神々においてはこうした異名の神の例は大国主神に限った話ではない。
さらに神の性別の話になれば、例えば稲荷神社に祀られる宇迦御魂大神(うかのみたまのおおかみ)は、男神という説もあれば、神仏習合の関係で同じ神と考えられている荼吉尼天(だきにてん)は女神という説もあり一定していない。
神を祀る社殿の形式一つとってみても、奈良県の大神(おおみわ)神社のように三輪山を御神体とするため拝殿はあるが本殿はない社もある。同様に、伊勢神宮の内宮(皇大神宮)の所管社の一つである瀧祭神(たきまつりのかみ)も、古来、社殿のない石神として祀られているが、祭典の折には、荒祭宮などの別宮に準じた取り扱いにて、丁重に祭祀が行われるような社もある。
三重県鈴鹿市南長太(みなみなご)町にある樹高二十三メートル、樹齢千年余といわれる長太の大楠(おおくす)は、近鉄名古屋線の車窓から見える楠の巨木として知られる。この大楠は江戸末期、嘉永年間に著された『勢国見聞集』の名木之部に「河曲郡北堀江村 楠 当村の西の方にあり 是を大木神社と云 式内の社なり」とあり、のちに明治時代に近隣の神社に御神体は合祀(ごうし)されたものの、楠の木そのものが神社として信仰の対象となったケースである。現在も、大楠のたもとにある石祠(せきし)に参詣する人が絶えない。