利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(47) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

真福・永福・善福・開福・栄福の社会を実現するために

もっとも、幸福と言っても、さまざまな考え方がある。ポジティブ心理学が展開するにつれ、何が「本当の幸せ」なのかという問題についても議論が行われるようになった。それを科学的に計測して研究する概念としてウェルビーイング(良好状態)という概念が用いられるようになった。

ウェルビーイングを継続的に高めるためには、美徳や人格的な長所(強み)を引き出して活用することが重要だと分かってきた。刹那的な快楽を追求すると短期的な喜びに終わりがちなのに対して、倫理的な「善い生き方」をしていると、「永続的な幸せ」が実現する可能性が高まるのである。

このような考え方は、西洋哲学の原点であるアリストテレス哲学に近い。彼の概念を用いて、そのような幸せを「エウダイモニア的なウェルビーイング」と言うようになった。エウダイモニアとは、古代のギリシャ語で「善い精霊」(エウダイモン)に由来するから、日本語では「善い幸福」と訳せば分かりやすいだろう。

かくしてポジティブ心理学は、永続的な善き幸せを実現する要件や方法を探究するようになった。最近は、このような幸福を、資質を開花させて繁栄を実現するという意味で「フラーリッシュ」ということが多くなっている。これは「開花・繁栄による幸福」を意味する。

こういった概念は日本語に訳しにくいが、私はこの著作を執筆する過程で、仏教寺院の名称などに用いられている「真福」「永福」「善福」「栄福」といった言葉が、「真実の幸福」「永続する幸福」「善き幸福」「開花による幸福」「栄える幸福」を表しやすいことに気づき、これらの訳語を提起した。

仏教で類似した概念が用いられているのは、偶然ではない。思想的にポジティブ心理学と仏教との間に類似性があるからだ。この新しい学知は、仏教も科学的に補強し、これによって科学と宗教や古典的哲学を架橋・統合していく広大な可能性が開かれるのである。

「福寿」という言葉は新年にしばしば用いられる。科学によって「福寿」を実現する方法が見つかったのは、お屠蘇気分を甦(よみがえ)らせる良いニュースだろう。私は文明的危機を乗り越えるための鍵の一つはここにあると考えている。この知的潮流が学問の全領域に広がって社会を変革する力になれば、ウェルビーイングの時代、いわば「真の幸福」(真福)へと向かう文明が実現すると思うからだ。それは、いわば「栄福社会」である。

このように、今はネガティブな政治的現実と、ポジティブな思想的フロンティアという双方が、光と影として共にくっきりと現れている。いま、全面に現れているのは暗い影であり、変異種の登場という脅威も現れて今年もさらに世界を席捲(せっけん)しかねない。人々の努力によって影が徐々に退潮し、明るい光が世界に射し込んで輝きを増す年となることを祈りたい。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交が深く、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者。

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