利害を超えて現代と向き合う――宗教の役割(45) 文・小林正弥(千葉大学大学院教授)

美徳による正義の回復への潜在的願望

主人公たちの美徳が、この醜く汚濁した世の中に正しい秩序を回復させるために、不可欠だ。半沢直樹は、悪徳政治家に「石部金吉君」と揶揄(やゆ)されるような倫理的に清廉潔白な志と正義の情熱を持っているし、それをバックアップした銀行頭取も円熟した知恵と貫禄の持ち主だ。炭治郎は妹への純粋な家族愛を闘いの原動力にし、犠牲者はもとより、討伐した後は鬼にまで憐(あわ)れみの情を見せるように、稀有(けう)な優しさが際立っている。

もちろん勇気や気力は欠かせない。かつて剣道部員だった半沢直樹は、難局では道場で竹刀を振って気力を甦(よみがえ)らせ、鬼殺隊員は「全集中の呼吸」により精神統一をして剣技を極める。さらにそのリーダー(柱)たちは、炎のような情熱のように、それぞれの特徴的な美徳や強みを持っていて、「炎柱(えんばしら)」(煉獄杏寿郎=れんごくきょうじゅろう)などと呼ばれている。

勧善懲悪の英雄譚(たん)には、美徳の権化のような主人公が多く、鬼退治という主題で言えば、「鬼滅の刃」は桃太郎や金太郎の現代版である。しかし、大人向きの物語は言うに及ばず、子供向きの物語でも、当初の仮面ライダーのように純粋な美徳を有する英雄的主人公はあまり描かれなくなっているから、徳ある主人公は逆に新鮮な印象を与える。

その理由は、現実の世界があまりにも不法や不正・不公正で満ちてきているので、人々が無意識のうちに、徳ある英雄による正義や公正の回復を潜在的に願っているからではないだろうか。耐えがたいような異常な世界が蔓延(まんえん)してきており、「鬼」のような権力者や強者に庶民が虐げられていることに、憤懣(ふんまん)やる方ない気持ちが底流に広がっているからこそ、徳ある英雄を待望する気持ちが、爆発的な記録的ヒットとしてマグマのように噴出してきているのではないだろうか。

架空の主人公たちの痛快極まる活躍に快哉(かいさい)を叫んでいるだけでは、もちろん現実は変わらない。とはいえ、この背景にある社会的病理を認識し、人々のひそかな願いを察知することは大切だ。自分たちも、半沢直樹や炭治郎たちのように、真っすぐな心を持ち、純粋な正義感や優しさを甦らせて行動に出ようという気持ちを多くの人々が持つときに、「鬼」の支配する世界はまさに劇的に覆っていくからだ。

プロフィル

こばやし・まさや 1963年、東京生まれ。東京大学法学部卒。千葉大学大学院人文社会学研究科教授で、専門は政治哲学、公共哲学、比較政治。米・ハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交があり、NHK「ハーバード白熱教室」の解説を務めた。日本での「対話型講義」の第一人者として知られる。著書に『神社と政治』(角川新書)、『人生も仕事も変える「対話力」――日本人に闘うディベートはいらない』(講談社+α新書)、『対話型講義 原発と正義』(光文社新書)、『日本版白熱教室 サンデルにならって正義を考えよう』(文春新書)など。

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